「耕人集」  6月号 感想         髙井美智子 

苔咲くや鑿跡深き切通し井川勉

 切通しは山などを切り開いて通した通路である。三方を山に囲まれた鎌倉では、武家政権を樹立した鎌倉幕府が切通しの整備に力をいれた。横浜にお住まいの作者は仮粧坂や大仏切通しなどへ足を運ばれたのだろう。
 長い年月を経た切通しには厚く苔が盛り上がっていた。その隙間に深い鑿跡を発見した作者。現代のような機械ではなく、人の手に頼るほかない時代の痕跡である。遥か鎌倉時代にまで思いを馳せた重厚な一句となった。  

春耕の土のひかりを身にまとふ竹越登志

 作者自身の体験から生まれた臨場感にあふれた句である。掘り起こしたばかりの真っ黒な土が春の日差しを浴びて輝いている。更にこの情景を作者自身に引き寄せて、写生の奥を一歩深めたことにより、「土のひかりを身にまとふ」という表現にまで高めることができた。 大地の力を体中で感じ取っている喜びが伝わってくる。                                  

軽やかに動く身体や水温む池田京子

 スキップでもするかのような弾みのある句である。春物の洋服をまとい身が軽くなり、体中の関節まで滑らかになったと感じた作者。
 下五の「水温む」の取り合わせに意外性があり、新鮮な句となった。さあ今日はどこへ行こうかなと幸せな気分になっている若々しい作者が見えてくるようだ。

改修のすみし駅舎や燕来る森戸美惠子

 この句の背景には、作者が思い悩んでいたことが凝縮されている。改修工事で様変りした駅舎を燕は覚えているのだろうか。警戒して燕は戻って来ないかもしれない、などと心配は尽きなかったのであるが、燕はいつものように飛来してきた。作者の頭上を挨拶するかのように燕は飛びまわった。
 塗り終えたばかりの壁に、やがて巣作りが始まることだろう。 

鉄砲百合今も戦火を見てをりぬ野原朝枝

 沖縄に住む作者ならではの一句である。深い傷を癒すことのできない沖縄戦の無念を鉄砲百合に托している。擬人法を用い、真っ白な鉄砲百合が見ているのは真っ赤な記憶の中の戦火である。白と赤の色の対比が戦争のすさまじさを鮮明に映し出している心象風景の作である。
 沖縄戦を語り継ぐ人たちが減りつつあるこの頃である。6月23日は沖縄忌である。  

一面に花降る道を母の来る小田切祥子

 待ち合わせをしているお母様が花降る中をにこやかに近づいてくる景が鮮やかに浮かぶ。「花降る道」のこの一こまを活写し、俳句に仕上げたことで忘れられない思い出となった。大切にしたい心の一句である。

藍壺に藍の香深し花の雨飯田千代子

 「花の雨」の日は少し冷えこむ。藍染めは寒くなると壺の底に火をいれ発酵を促す。発酵が進むと染め頃であり深く染まる。すると複雑な独特の香りが立ち込める。これを「藍の香深し」と表現したことにより、抒情味のあふれた句となった。
 中七の「藍の香深し」と下五の「花の雨」が響き合い、黙々と作業をする工房の静けさまでも感じ取れる句となった。

沈丁花かすかな風に香の動く保坂公一

 沈丁花は花の咲かない時は、身近なところに存在感の主張もなく低く植えられている。路地裏などで、ふと香りに気付き辺りを見回す。少し間を置くと香りが薄れたりもする。
 この瞬間を作者は切り取っている。感覚を研ぎ澄ませると、香りが動いているように思えた。「香の動く」の措辞で沈丁花の少し重い香りを表現できた。辺りの空気感まで見事に言い表した一物仕立ての句である。

鹿尾菜干す王朝の名の岩の上上原求道

 那覇にお住まいの方であることから、王朝とは1429年から栄えた琉球王朝である。三山(中山、山北、山南)を統一したのは尚巴志王(し ょうはしおう)であった。
 数万年前に珊瑚や貝殻などが堆積してできた岩が、地殻変動により海岸のあちこちに隆起している。この一つの大きな岩に王の名で呼ばれている尚巴志岩があり、鹿尾菜が乾されていた景の嘱目吟である。この句から、尚巴志王が今も暮しの中で親しまれていることが窺われる。