「耕人集」  5月号 感想         髙井美智子 

如月の日に照り映ゆる石舞台松井春雄

 6世紀に築造された石舞台古墳が、奈良県明日香村現存する。巨大な石を積みあげて造られた横穴式石室古墳である。盛土が失われて露出した天井石の上面が平らなことから、石舞台と呼ばれている。
 石舞台古墳の巨岩は長い年月を経て、雨風で磨かれている。この古墳は石室の中にまで自由に入ることができる。石の隙間から石室内に日が差し込むと、神秘的な光が内側を照らす。掲句は外から見た光景とも石室内の光景ともとれ、想像が膨らんでくる。柔らかい「如月の日」が悠久の時へと誘ってくれるようだ。  

薄氷が薄氷を連れ流れけり平向邦江

 山からのせせらぎが湖へ注ぎ込む辺りを連想した。朝日が昇るにつれて、今まで固く張っていた氷が一気に緩みはじめた。日に照らされて輝く薄氷が湖へ押し出されてゆく。薄氷はやがて大きな罅が走り、重なり合うように流れ出す。「薄氷が薄氷を連れ」の措辞が見事に言い当てている。一物仕立の肩の力を抜いた流れるような調べが絶妙である。 

一理ある子のひと言や麦を踏む高村洋子

 麦踏は並んで一緒に出発しても、それぞれの歩調が異なる為、やがては交差することになる。
 交差する僅かな間に思春期の子が不満の言葉をぶつけてきた。「期末テストが近づいているのに、普通の親は勉強を優先させるよ」と。麦を踏む単調な作業などやっていられないのだ。返す言葉もない。投げ捨てられたひと言を嚙みしめながら、長い畝の麦を踏み続けている。
 「麦踏」を角度を変えた視点で詠み、新鮮な一句に仕上がった。

己が影に寒肥を撒く男かな野口栄子

 収穫を終えた畑は、すっかり痩せてしまった。畝を平らに崩し、ほこほことした畑になるまで耕した。最後に寒肥を撒く。冬場は暮れ時も早く、3時頃に差し掛かると影はどんどん長くなる。その長い影の先まで寒肥を撒いていることを切り取った写生句である。
 「己が影」の短い措辞から、己の影を連れて一人で寒肥を撒き、先祖の畑を守りぬいている男の生き様まで想像が膨らんでくる。 

定年の近き倅にしじみ汁山本由芙子

 作者のお住まいの奈良県の大和川は、淡水域や汽水域でしじみが生息している。息子さんが幼なかった頃はしじみ狩りを楽しんだことだろう。
 息子さんが定年を迎えることとなった。「お疲れ様でした」「定年までよく頑張ったね」等労いの言葉が山ほどある。息子さんの好物のしじみ汁を椀に盛りあげた。しじみ汁を啜りながら、「退職したら一緒にしじみ採りに行こうよ」と、話が弾んだことであろう。
 「しじみ汁」の季語が定年という重い事実を和らげ、身も心も温まる句となった。  

雪解川夜のしじまに音ひろぐ舘岡靖子

 山形県の山寺と呼ばれている宝珠山立石寺の麓に溢れ出る雪解川を思い浮かべた。周囲の山々から流れ出る雪解水は、一気に濁り嵩を増し轟音となる。この轟音は山寺の五大堂に登ると更に大きく聞こえてくる。これは山寺と対面している山々に跳ね返り、音が膨らむ為と思われる。
 作者の聴覚は夜になると研ぎ澄まされ、音は一層力を増して広がってくることに気づいた。夜の闇の深さまで広がってくるようだ。

朝市のバケツで計る若布売花枝茂子

 若布は早朝に小舟を何度も沖に出し、山盛りに刈り取って来る。素早く若布を大釜で茹であげ、浜の干し場に吊し干す。この一連の作業を朝の9時頃までに家族総出で終わらせる。
 さて掲句は刈り取ったばかりの若布を売り出している朝市の情景である。若布は全長2メートルにも及ぶものもある。切る暇もなく売りに出す為、バケツに溢れんばかりに盛りあげて計っている。「バケツで計る」とはなんと豪快。漁師の奥さんの開けっぴろげな声が聞こえてきそうだ。朝市のいきいきとした様を独自の感性で写生した即物具象の一句である。

凍滝の音断ち青く屹立す佐々木加代子

 凍滝は最も寒い時期に見ることができる。「音断つ」の措辞から、ささやかな水音さえも聞こえないほど厚く凍りついていることがわかる。氷瀑は芯の方から青みがかって見える。氷河も青く神秘的に見える。
 滝の流れ方により氷瀑は様々な形となる。「屹立す」の措辞から、凍滝は真っ直ぐな太い柱と化し、眼前に迫っているようだ。迫力のある強靭な句が生まれた。