「耕人集」  12月号 感想         髙井美智子 

昼休み辞書を枕に夜学生矢尾板シノブ

 夜学生は昼間は仕事に従事し、夕方定時に仕事を終えると一目散に学校へ向かう。昼休みも寸暇を惜しんで勉学に励んでいたのか、辞書が枕に早変わりしたのである。睡魔には勝てず、とうとう熟睡してしまったのである。中七の「辞書を枕に」の措辞で夜学生の疲れ様がよく伝わってくる。
 「負けるな。きっと良い事がある。」と応援を送る作者の優しいまなざしが見えてくる句である。  

山葡萄頰張りてゆく牧の道森安子

 頰張るほどに山葡萄が熟している道は牧へと続く。大方は奥山の人を寄せ付けぬところに熟している。近年では栄養価が豊富な為、人気でワインやジュースの原料として栽培をしている。ポルフェノールやビタミン等が豊富に含まれている。良く似た野葡萄は、熟すまで様々な色に変化し宝石のように輝いているが熟しても美味しくない。
 「頰張りてゆく」の表現で作者が野の中に溶けこんで行く様子が彷彿としてくる。野山を駆け巡ると喉が渇くが、山葡萄を見つけた作者は喜々として頰張ったことだろう。自然の恵みを十分に味わった作者の喜びが溢れ出る一句となった。                                

放棄田のコスモス群れし峠道中村宍粟

 最近放棄田の現象が進んでいる。稲作をしても採算が合わないと聞く。老齢化が進み人出不足が大きな原因であるが、稲刈り機を使える人を雇う費用に加えて、肥料代などが嵩む。
 放棄田も草を刈る費用や水路の費用が負担になる。この放棄田にコスモスを植えているのだ。町起こしの政策の一貫なのであろうか。棚田の美しさは人の手が如何に関わっているかによるものかもしれない。
 作者はかつて稲が育っていた豊かな田の記憶を辿りながら、歩いているのであろうか。峠の風に揺れるコスモスは色も鮮やかで目を奪われたことだろう。

稲刈れば鳥海連山雲を解く齋藤キミ子

 稲刈り日の朝から鳥海山には雲がかかっていた。雲の動きを見ながらの稲刈り作業である。庄内平野の稲刈りは鳥海山に見守られながら進められるが、やがて雲がだんだんに薄れてきた。晴れやかな鳥海山が豊作を祝ってくれているように見えた。稲刈りの達成感や豊作の喜びを鳥海山と分かち合っている雄大な景の作品となった。
 鳥海山を知り尽している鶴岡にお住まいの作者ならではの句である。 

駐在のけふの捕り物青大将鈴木吉光

 長閑な俳諧味のあるユニークな句である。青大将の騒動まで駐在所に駆けこむとは楽しい村である。青大将は不気味なほど大きいので民家などに紛れ込むと慌てふためく。
 「捕り物」という時代劇かかった措辞がこの句を引き立てている。江戸時代の目明しが犯人を捕らえるのを捕り物と言われていた。「捕えた」とか「確保」の語彙では魅力を感じない句となってしまう。遊び心があれば、言葉の選び方も違ってくることを勉強させてもらった。
   

甘藷の花見渡す先の海碧し與那覇月江

 甘藷は薩摩薯ともいう。薄紫色や白色の甘藷の花が咲き揃うと美しい。見渡す限り甘藷を栽培している広々とした景である。浜や崖のぎりぎりまで余すことなく栽培している。甘藷畑の先には沖縄の碧い海が広がっている。

夫遺しし松の盆栽小鳥来る村井洋子

 御主人が遺した盆栽を大切に育てている作者。猛暑の続く真夏には水やりが大変である。夏を乗り越えて、小鳥がやってきた。まるで慣れ親しんだ盆栽を目当てにきたようだ。御主人の気配まで感じられるような一句に仕上がった。

強面の案山子すずめに肩を貸す衛藤佳也

 思わず微笑むような楽しい句である。すずめにとって強面の案山子など何の脅しにもなっていないのだ。どうやら最近のすずめは賢くなっているようだ。
 強面の案山子を擬人化し、下五の「肩を貸す」の措辞でおかしみが表現された。すずめの愛らしさと案山子の表情を観察している長閑なひとときである。自然の中に浸るとは、こんな光景をみて楽しむ事かもしれない。
 すずめを平仮名で表記したことにより、すずめの愛らしさが強調された。