「耕人集」 6月号 感想 髙井美智子
黒こげになりたるパンや山笑ふ野口栄子
パンの焼き具合は家庭によりこだわりがあるが、付合せのサラダの調理に夢中になっていると黒こげになってしまったようだ。この失敗をすんなりと俳句に詠みこむことができるほど、作者の日常に俳句が寄り添っていることに感銘した。
さらに「山笑ふ」の季語を採用したことが絶妙である。厨の窓からは山が臨めることも想像でき、おのずと景が広がってくる。
遺跡掘る手にひらひらと梅の花岩﨑のぞみ
遺跡の発掘に携わっている作者は、毎月発掘作業を作句されており注目をしていた。遺跡を掘っている手に梅の花びらが舞ってきた。中七から下五の「手にひらひらと梅の花」の表現により、一掘りごとに古代の遺跡を発掘できるのではないかという期待感が伝わってくる。
梅が咲く頃はまだ肌寒く過酷な作業であるが、同時作に「遺跡掘る背に容赦なし春疾風」がある。
天守への長き坂道花吹雪石本英彦
どこの天守閣への坂道だろうかと今までに訪ねた名城の天守閣を思い描いてみた。姫路城の「いろは付き門」の坂だろうか、西の湖を見渡す安土城跡への急な石段だろうか、荒々しい坂の高知城だろうか、長良川を見渡す金華山山頂の岐阜城への山路だろうかと想像はつきない。読み手によって思い巡らす城があり、多様に想像が膨らんでくることだろう。
下五の「花吹雪」の季語により、城に纏わる歴史や秘話を繙いている作者の気持ちがそこはかとなく表現されており、体言止めが余韻をもたらしている。
迸るごとくに風の雪柳原精一
雪柳は細くたおやかな枝に真っ白な小さな花を咲かせる。香りも花の数だけ生まれ出るように湧く。
風に騒ぐ満開の雪柳の咲き様を「迸るごとくに」という措辞でみごとに言いあらわしている。眼前にある雪柳に立ちすくみ感動したのである。雪柳が風に揺れて、輝きを放った時の作者の感動が生き生きと伝わってくる。写生を深めたことで臨場感に満ちた句に仕上がった。
草餅や母の忌重ね五十年小川爾美子
お母様の手作りの思い出の草餅は、もう記憶のなかにしかないが、忌日にはいつも草餅を供えている作者。野原で摘んできた蓬で、青々と蒸された草餅の香りは格別である。
若くしてお母様を亡くされた作者は、50年の来し方に思いをよせている。このように忌日を大切に迎えるということは、自分を見つめ振り返る良い機会でもある。そしてゆっくりと亡きお母さんと語ろう。肩の荷を下ろして甘えてみよう。頑張ったねと褒めてもらおう。
50年の月日の重さを推し量る深みのある句となった。
治聾酒を酌んで持論を声高に小島利子
治聾酒は春分に最も近い戊の日に飲む酒で、この日に酒を飲むと耳の障害が治ると言われている。治聾酒を酌み交わしているうちに、持論を雄弁に語り出したようだ。
下五の「声高に」の措辞は、気分が高まり声も大きくなったようだが、一方では耳が少し遠くなった為、大声で持論を説いているのかもしれない。「治聾酒」の季語と響き合い、俳諧味のある愉しい一句となった。
分校の卒業歌聞く畑かな古屋美智子
下五の「畑かな」は簡略化された表現でありながら、作者が畑仕事をしていると分校から卒業歌が聞こえ、鍬を休めて聴き入っている情景が髣髴としてくる。長閑な山麓にお住いの作者ならではの属目吟である。村中が卒業歌に耳を傾けているような優しさにあふれた景が見えてくる。
最近は過疎地の分校が閉鎖されており、若い家族が住みづらくなっている。車で難なく本校に通えるかもしれないが、生活圏はどんどん都市化傾向にあり歯止めがかからない。山間部に人が住まなくなるという悪循環の一途をたどっているように思える。
潮錆の軋む北窓開けにけり須藤真美子
海辺にお住まいの場合は、あらゆる金具類は潮風で錆びる。冬の間締め切っていた北窓は、すっかり錆び付いてしまったようだ。
「北窓開く」の季語では珍しい情景に焦点を当てている。まるで心内までも錆びつき、心を開く扉が軋んでいるように思える。長引く新型コロナウイルス禍で閉じこもる生活が続き、生活様式はすっかり変貌してしまった。北窓を開けて一歩を踏み出そうとする作者の高揚する気持ちが伝わってくる。
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