「耕人集」 11月号 感想             髙井美智子 

故里の雨の匂ひや盆支度山宮有為子

 今年はお盆の近づく頃は雨の日が多かった。いつも降る東京の雨の匂いは遣り過ごしていたが、盆支度をしている時の雨の匂いは故里の雨の匂いを思い起こさせた。望郷の心が雨の匂いにまで広がったようだ。嗅覚の敏感な作者は故里の雨の匂いを覚えていたことに気づき、この秀句が生まれた。
 なにげない日常の一齣を敏感に感じとる作者の姿勢に学びたい。   

後継ぎの僧の膝打つ秋扇岡本利恵子

 菩提寺のご貫主は長年のお付き合いで気心も知れており話も弾み、お経も堂々として安心できる。付き添って来られた修行中の後継ぎのお若い僧はどこか心許なく、手持ち無沙汰に秋扇を膝に打っている。後継ぎの僧をこのように観察し、作者の心境まで読み解けるほどの一句に仕上げたところが見事である。秋扇の季語の取り合せが絶妙で、この空気感をさらに醸し出している。                                  

時計草鼠のごとく女医走る林由美子

 時計草は雌しべが3つに分かれており、時計の長針と短針と秒針のように見え、花びらと萼が文字盤のようであることから時計草という和名が付けられた。日差しに向かって平らに開き美しい時計盤のようである。
 この季語に対して、中七から下五にかけて思いがけない「鼠のごとく女医走る」の措辞で一気に詠みこんでいるのに驚かされた。小走りをしながら、あれこれと動く女医の忙しい姿が浮かび上がってくる。疲れも見せず患者に誠実に対応している女医さん。「鼠のごとく」から察すると、話し方も優しいながらもてきぱきと早口のようである。
 治療が終わり玄関に出ると、垣根に絡まっている時計草は針も進まずゆったりと咲いていた。  

鳴き足らず朝のちちろとなりにけり完戸澄子

 夜遅くまで鳴いていたちちろ達も朝は静かになるが、朝になってもまだ鳴いているちちろもいた。擬人法を用いて「鳴き足らず」と表現したことにより、ちちろへ焦点が移り、ちちろの気持ちへ思いを馳せる句となった。中七以降は省略の効いた表現で、力を抜き流れるように詠いあげている。
 一物仕立ては単調な句になりがちであるが、研ぎ澄まされた聴覚から抒情を引き出した佳句となった。 

斜に構へ半歩下がつて菊人形金子正治

 この菊人形は今にも刀を抜かんとする姿の武者人形であろうか。鉄砲を構えている白虎隊の姿であろうか。様々な動きのある菊人形が想像できる広がりのある楽しい句である。最近は菊人形を見ることも少なくなったが、福島県の二本松城の菊人形は見応えがあり、紅葉の借景も華やかに色を添えている。 
  
胡弓の音闇に溶けゆく風の盆榎本洋美

 風の盆は「おわら風の盆」とも言われ、富山県富山市八尾町で毎年9月1日から3日にかけて行なわれる行事である。 胡弓や三味線などを奏で、越中おわら節にあわせて老若男女が夜通ししなやかに踊る。なかでも胡弓は哀調を帯びた音色を奏でるが「闇に溶けゆく」と見事に言い当てている。真夜中まで踊りに浸っていたからこそ生まれた一句である。 

水軍の島の舟虫疾く走る山下善久

 室町時代から戦国時代にかけて、芸予(げいよ)諸島を中心に村上水軍(海賊)が活動した。尾道市の因島・今治市の能島・来島を中心に瀬戸内海を支配し、要塞化された居城もあった。村上水軍はやがて航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易や流通の秩序を支える海上活動を生業とした。平成28年4月に「日本遺産」に認定された。
 作者はこの歴史ある島に立ち寄り舟虫に出会った。その逃げ去る素早さに驚嘆し、村上水軍の活躍にまで思いを馳せたことが窺える。
 名古屋から欠かさずに投句されておられる作者に敬意を払いたいと思います。

野球帽の案山子や明日香大棚田當嶋たか子

 奈良の明日香の石舞台の廻りの棚田は起伏をなして繋がっており、まるで歴史の遺跡を守っているようである。この棚田を歩いたことにより、野球帽の案山子を発見した貴重な体験である。明日香と野球帽の組み合わせが新鮮で楽しい。

秋の草廃校に風棲みつける小田切祥子

 僻地の廃校は再利用もせず、子供達の声で賑やかだった校舎は人影もなく花壇は秋の草で被われていた。かっては花壇で糸瓜や鳳仙花を育て、子供達は虫を探すのに夢中であった。
 今は秋の草に風が棲みつき、風のささやきが聞こえるようだという感覚が見事である。明るかった校舎を懐かしむ作者の姿が髣髴としてくる。