「耕人集」 1月号 感想             髙井美智子 

姿見の奥のくらさや日の短完戸澄子

 日常の何気ない生活の中での作者の感性から生み出された一句である。姿見は出かける際に全身をチェックする必需品であるが、当り前のように家や庭の景色を映しておりあまり気にも留めていない。作者はその鏡に映る景色のくらさにふと気づいたのである。あれこれと用事を済ませ、鏡の奥に暮れる気配を感じとった。これを「日短」という季語を用いたところが秀逸である。
 先師の皆川盤水は、「俳句は季語が60パーセントを言いあらわす」と説かれていた。最適な季語が決まると秀句が出来上がると言っても過言ではないようだ。   

猿山にボスゐる平和鰯雲原精一

 ここでの猿山とは動物園か又は過疎地の裏山であろうかと想像が膨らんでくる。猿の一団は必ずボスが統率するが、ボスの人格ならぬ猿格により平和が保たれているようだ。蚤を取り合ったり、子供らがじゃれ合ったりする様子を「平和」と言い切ったところに納得がゆく。一方ロシアによるウクライナへの理不尽な攻撃を風刺化しているようにも読み取れる。
 鰯雲の季語を用い視点を空に向けたことにより広がりのある句に仕上がっている。                                  

稲を刈る出羽三山に囲まれて小川爾美子

 出羽三山とは羽黒山・月山・湯殿山の総称で、信仰と修験道の山である。作者のお住まいの鶴岡市は庄内平野の南部に位置し、出羽三山に囲まれており、日本有数の穀倉地帯である。稲やだだちゃ豆の収穫ができる。「出羽三山に囲まれて」の措辞は、地理的に「三山に囲まれて」だけではなく、作者が信仰する「三山に囲まれて」の深い意味が窺える。山々から流れ出る肥沃な編み目のような川にも感謝である。出羽三山の雲の流れ具合などから天候の良い日を選び稲を刈る。   

丸かじりの林檎野良着の袖で拭く古屋美智子

 農作業の小昼時に林檎を捥ぎ取った作者は洗う水もなく、とりあえず野良着の袖で拭いたという臨場感にあふれる嘱目吟である。逞しく長野に生きる作者の姿勢がうかがえる。水で洗い包丁で皮を剝いた林檎より、丸かじりが美味しいことを良く知っている作者である。自然の恵みを体中で受け止める喜びも見えてくる。 

大木の洞を覗けば秋の声小島利子

 山路などを歩いていると大木の洞があるとつい覗き込む。穴は暗く不思議な何かを秘めている。作者も覗き込み敏感に何かを感じとり、心の中に聞こえたこの感覚を「秋の声」の季語を用いて言い得ている。作者の遊び心と感覚の鋭さから生まれた一句である。 
  
天袋なかは昭和や煤払ひ池田年成

 年末は大がかりに押入れや天袋の整理をする。流れゆく月日にまかせ、手付かずの天袋は何年も使わない物で埋め尽くされている。これを「昭和」の二文字で言いあらわしたことにより思いの膨らんだ句となった。約半世紀前の昭和の品々は捨てがたく、今年も煤払いだけをした作者である。この天袋は作者の心の拠なのかもしれない。 

色変へぬ松の根元に一里塚 山本由芙子

 旧街道の一里塚の根元に古木の松が植えられていた。何百年もの松が生き生きと根を張っており、この街道の歴史を物語っているようだ。松の枝も隆々と青き枝を張っており、この景を「色変へぬ松」の季語を用い、歴史の流れをも言いあらわすことに成功した。これこそ「色変へぬ松」の季語の真意と思える。 

悪友のごとき持病や寒卵川崎知也

 持病を持っていると「病とは付き合うしかない」と慰みごとを自分に言い諭し、会話の中でも軽くこのように吐露することが多い。ところが作者は持病の大変さを「悪友」と言ってのけた。悪友は長く付き合っていると良さも知り抜いているので離れることもできず、酒などに誘われると断れず、心置きなく飲むことになる。作者は持病がこのような付き合い方であると言っており、負の部分を深刻に捉えずに受け止めることのできる達人でもあるようだ。

皆既月食見まもる冬の星あまた桑島三枝子

 2022年11月8日の皆既月食は、月が天王星を隠す惑星食も同時に見られた442年ぶりの天体ショーであった。約3時間に及ぶこの天体ショーは日本中の人々が釘付けとなり、宇宙の不思議さにひたる一夜であった。雲の無い空にはあまたの星が瞬いており、作者は皆既月食の一刻一刻を静かに見まもっているようだと擬人化を用いて言いあらわしている。
 蟇目良雨主宰はこの夜の皆既月食を
月蝕のひそかに進む神の留守
 
と詠われた。