「耕人集」 4月号 感想                          高井美智子 

初刷の連載小説山場かな中村宍栗

 新聞や週刊誌の連載小説は読み始めると続きの展開がとても待ち遠しくなる。私が東京で働き始めたばかりの若かりし頃、遠藤周作の「マリーアントワネット」が某週刊誌に連載されており、毎週心待ちにして読んでいた。又某新聞の宮尾登美子の連載「杵の音」は子育てをしながらの楽しみであった。小説を一気に読むよりも、期待感を胸に温める時間があるためか心に残るのである。
 作者がわくわくして新聞受けを覗く様子も伝わってくる。元旦に合わせてストーリーを山場に持ってきた作家の意気込みと読み手の期待感とが融合し、いよいよ佳境を迎えたようだ。情報が即座に手に入る現代になったが、連載小説はいくらか時を止め、人の心に安らぎを与えているのかもしれない。新年の喜びを気負いなく詠った類想のない句である。   

冬ざれや痰切豆の実の黒し瀬崎こまち

 すっかり色の失せた冬山に入ると、豆の莢が割れて痰切豆の実が黒い光を放っていた。不思議な名前がついているが、この豆や葉を煎じて飲むと「痰が切れる」のでタンキリマメと呼ばれると説明されている植物図鑑もある。実際には薬用としてはほとんど用いられていないようで、効能は江戸時代からあやふやなようである。
 この親しみのある植物名を中七全部に使っていることから、痰切豆に遭遇した時の驚きが読み取れる。上五の「冬ざれや」の季語により、痰切豆が山の日差しや風に研がれて黒く輝いている様が映像として浮かんでくる。                                  

みそさざい江島遠流の地に立てば小林経子

 江島生島事件は、江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1,400名が処罰された事件である。江島は高遠に27年間も幽閉され墓所は高遠町の蓮華寺にある。
 作者はこの高遠の地を訪れて江島をしずかに偲んでいる。幽閉された囲い屋敷の格子戸にみそさざいが訪ねてきたのであろうか。冬になるとみそさざいは山から人里近くに降りてくる。一歩も外へ出られない江島にとって、みそさざいが友達となっていたのかもしれない。   

朝掘りの雪大根のやはらかし谷内田竹子

 新潟県長岡市で栽培されている大根は、11月に収穫できるにもかかわらず、雪が降るまで収穫せずにそのまま土の中で育てておく。12月の雪をかぶってから収穫し、さらに出荷まで雪をかぶせて保管しておく。長岡野菜の一つに「雪大根」として指定されている。非常に甘く柔らかに育ち、朝掘りは特に夜の寒さで一段と柔らかさが増すようである。
 雪国の過酷な環境を逆手にとって、生き抜く長岡の人々の逞しさが伝わってくる。雪を付けたまま収穫した大根の葉も、しゃきしゃきとして力強く広がっていたことだろう。 

若布干す丘に津波の教へ石守本美智子

 海岸よりも高台の丘に若布を干している風景である。この丘の近くまで津波が押し寄せた遠い過去の記憶を石に刻みこんでいる。あるいは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」を記している石なのかもしれない。通常では想像できない津波の勢いを忘れないように石に刻み、次世代へ繋いでいる「教へ石」なのである。
 この「教へ石」は人々を津波から救う重要な石でもあるのだ。作者は漁村の生活の海の豊かさと危うさを、しっかりと捉え詠いこんでいる。 

  
成木責声高なれど柔に打つ安奈朝

 小正月の行事で、果物の木にその年の豊穣を約束させる木占いである。鉈、鎌などを持った男が「なるかならぬか、ならぬは切る」と果樹をせめる。
 作者はこの情景を即座に聴覚を働かして「声高なれど」と捉え、果樹を打つ手加減を視覚と聴覚と触覚を瞬時に働かせ「柔に打つ」という措辞を用いて言い当てている。
 先師棚山波朗の成木責の句を紹介する。

打ち打たるにはか役者の成木責    春耕誌2016年2月号
古傷に生傷重ね成木責                春耕誌2018年2月号
成木責まだむき出しの去年の傷    春耕誌2019年4月号 

子規庵の軒をこぼれて初雀日置祥子

 脊椎カリエスを患い動けなかった子規にとって、子規庵の庭や軒は眼に入る唯一の外の世界であった。庭の草花はもちろんのこと軒をこぼれてきた雀はいつしか話し相手になっていたのかもしれない。軒を見あげて寝ていた子規に、雀が御慶の挨拶にきたかもしれぬ情景などの想像力を掻き立てられる一句である。