「耕人集」 7月号 感想                          高井美智子 

髪洗ふ憑物一つ落とすごと桑島三枝子

 大方は無意識に一日の汚れを落とすために髪を洗うのであるが、この日作者には何か不穏な出来事があったようだ。この嫌なことを髪を洗って洗い落とそうとしている。多様な想像の広がる心象句となった。

長き柄のつんと簪桜かな藤田雅明

 簪桜の名称は始めて聞いたので調べてみると桜の品名として存在していた。八重咲きの大輪で宮城県仙台市で栽培されていた桜で、佐野藤右衛門氏が「桜花抄」で紹介し、世に知られるようになったとのことだ。
 日本髪に簪を飾るがごとくの簪桜の姿を上手く捉えている。「つんと」の措辞で八重咲きではあるが軽やかに揺れていることが想像できる。                                  

かはほりや時をたがへぬ豆腐売小田切祥子

 かわほりとは蝙蝠又は蚊食鳥のことである。日没になるのを待っていたかのように川辺などに飛び始める。こんなに暗いのに飛んでいる小さな虫が見えるのかと不思議になる。実はかわほりは喉で生成された超音波を周囲の物体に照射し、跳ね返ってきた音を聞くことで、物体までの距離や物体の形状を把握する超音波利用能力を備えている哺乳類であるのだ。
 さて掲句はかわほりの出没するこの時刻に豆腐売が廻ってくるという暮れ時の日常を切り取って詠っている。「時をたがへぬ」という省略された表現で、かわほりの習性と生活の営みのこの情景を的確に言いあてているのが見事である。   

ベランダの富士借景のこひのぼり花枝茂子

 遠富士が見渡せるマンションにお住いのお孫さんを訪ねた時の情景であろうか。ベランダという言葉に違和感がなく現代的な生活感に溢れた自然体の句である。
 富士山を背景にこいのぼりが悠悠と泳いでいる。お孫さんの成長を喜ぶ気持ちからこの句は生みだされたのである。 

県の名を北から暗記進級す石橋紀美子

 日本地図は上に北海道が描かれており、人の視線は上から下へと移動するのが自然である。中七の「北から暗記」の表現に納得できる。まだ旅行などの経験の少ない子供にとっては県名を覚えるのは容易なことではない。進級できて一安心である。

春深し琵琶湖疎水に渦あまた中谷緒和

 琵琶湖疏水は、琵琶湖の湖水を京都市へ流すため、明治時代に作られた大がかりな水路である。南禅寺境内にある水路閣は厚い苔に覆われ、今はすっかり古刹の景に馴染んでいる。春になると雪解水などで水量のふえた琵琶湖の水がどっと流れ出し、疎水のあちこちで渦が発生しているようだ。渦は段差や分岐点や藻などで発生するのだろう。 

大歩危峡の空の深さや鯉幟鈴木ルリ子

 徳島県の秘境大歩危の谷間に鯉幟の列が渡っている。その真下の激流をすり抜けてゆく舟下りはスリルに満ちている。また、この地は壇ノ浦の戦いで敗れた平家が逃げのびた地でもある。平家末裔の家では大きな鯉幟が谷へ張り出して泳いでいる。
 狭い谷間に凝縮された空を「空の深さ」と言い表しているところが、作者独自の感覚であり感銘を受けた。 

童心に帰る道の辺チューリップ伊藤宏亮

 チューリップが一列に咲き誇っている道の辺を歩いている作者である。チューリップを見るとだれもが感じる心の内を「童心に帰る」と素直に表現している。俳句の素直さがチューリップの素直さをも強調した句となった。

寄せ書きのみんな丸文字卒業生池田栄

 漢字練習帳等では一画ずつしっかりとした楷書で書いている子供達も、寄せ書きとなると丸文字で書くようだ。まるで絵のような字に化けるのである。この器用な使い分けに作者も驚いたようだ。「卒業生」の季語と響き合い楽しい句に仕上がった。

老漁夫の旗魚引く背に夕陽さす上原求道

   旗魚(かじき)は体長約2メートルを超え、上あごが剣状に長くのび、下あごもやや突きでている。刺身、照焼きなど美味でいつもスーパーに並んでいる。熱帯、温帯に分布している。
 老漁夫が身の丈ほどの旗魚を格闘しながら引き上げている景である。朝から漁に出ていたが、夕方にやっと大物の旗魚を捕ることができたようだ。「背に夕陽さす」の措辞により老漁夫の疲れや力を振り絞る様などの景が髣髴としてくる。「老漁夫」の働きぶりを讃えると同時に、どこかもの悲しさの残る句である。