「耕人集」 6月号 感想                          高井美智子 

ふたりゐて一人の心夕桜岩波幸

 作者は心置きなく語り合える人と桜を愛でていた。満開の桜のあまりの美しさに見とれていると言葉では言い尽くせない気分になってきた。桜の儚さや切なさ等がふと心を掠める。それは捉えどころも無く自分の心に問いかけてきた。いつの間にか自分の心に対面していたのだ。この微妙な感覚を素直に詠み込んだ秀句である。「夕桜」の季語の採用により、今日の一日を咲き誇る桜の命の短さも感じられ、句の深みを増している。

納骨や雨にけぶらふ山桜今江ツル子

 納骨は山桜の咲く山裾で行なわれたようである。山桜は山のそちこちに咲くと、ほんのりと淡い色が浮き上がる。この情景を山桜の季語で推し量ることができ、想像力を掻き立てられる。山桜の大木が墓を優しく守ってくれるているようである。柔らかい春雨が山を覆っていた。中七の「雨にけぶらふ」の措辞により、作者の悲しみがそこはかとなく伝わってくる。                                  

こぶし咲く円空仏を守る里山下善久

 円空は、江戸時代前期の修験僧で仏師でもあった。各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を約5,000体以上各地に残している。円空仏はゴツゴツとした一刀彫りであるが不可思議な微笑をたたえていることが特徴である。
 掲句の円空仏は里の人々により大切に守られているようだ。下五が「寺」ではなく「里」の措辞を用いたことにより景に広がりを与えている。長い冬を越えて、漸くこぶしが咲き始めた里であり、円空仏を守る優しい人々の住む里でもあることが想像できる。   

家康公のちさき鉛筆のどけしや瀬﨑こまち

 徳川家康は朱印船貿易で鉛筆を手に入れたようで、日本で最初に鉛筆を使ったとも言われており、その鉛筆は久能山の東照宮に保存されている。家康公はこの鉛筆が小さくなる迄、何を書いていたのだろうかと作者は想像を膨らませたことだろう。
 下五に切字の「や」を使うことは珍しく、作者も作句において冒険をされたことだろう。下五に切字の「や」を使っている例句をあげてみる。
 新教師若葉楓に羞らふや  森澄雄 

白鳥の泥に塗れて餌を喰む菅原しづ子

 新潟の瓢湖などに飛来する白鳥。餌が撒かれるとその辺りは白鳥や鴨が密集し修羅場と化す。
 掲句の白鳥は雪解けの田圃の虫等を啄んでいる光景と思われる。白鳥は6羽くらいの集団で大空から舞い降りるように田に降り立つ。真っ白な白鳥が泥塗れになって餌を捕っている光景を間近で観察出来るのは、地元に住まわれている作者の特権でもある。
 沢木欣一の代表作に瓢湖での作〈八雲わけ大白鳥の行方かな〉がある。

鳥引きて暫く湖の落ち着かず石橋紀美子

 上五の「鳥」は、白鳥・雁・鴨・鶫・鶸など大小の渡り鳥全般を指しているので、鳥の種類は読者におまかせしよう。
 さて湖を拠点として居座っていた渡り鳥が北国へ旅立っていくのを見送った作者は、視点を空から湖へ移したのである。暫くの間、湖面の波が荒立っていたようである。鳥達のいない湖は虚ろさを湛えていた。この様子を「湖の落ち着かず」と独自の感性による写生を試みている。去ってゆく鳥に着眼したのではなく、鳥が去った後の湖に着眼したのがユニークである。 

渓流のしぶき木五倍子の花の下小島利子

 木五倍子の花は長い房が列をなして垂れ咲く。渓流に伸びた大枝に木五倍子の花が輝いており、その真下にしぶきが飛び跳ねている光景である。木五倍子の花の房が揺れている景まで見えてくる。春の喜びを詠いあげた一句である。 

最上川春の光の流れ鋭し結城光吉

 最上川の豊かな流れがきらきらと輝く様子を「春の光」と捉えたところが秀逸である。また雪解けで水嵩が増した流れは速度があるが、これを「流れ鋭し」と言い切ったことにより水の冷たさをも感じ取れる。芭蕉の名句〈五月雨をあつめて早し最上川〉を越えねばという作者の挑戦が窺え、その努力に賞賛を送りたい。

祖母に似し優しき目元雛飾る深田良子

 毎年雛を丁寧に飾っている作者であるが、おばあ様の優しさや温もりを間近に思い出していることが読み取れる。雛に語りかけていると雛の面立ちは全てを許してくれるような優しさに溢れている。上五の「祖母に似し」の措辞の如くおばあ様のにこやかな目元に似ていることに気づく。おばあ様はきっと色白の美しい方であったことだろう。