「耕人集」 12月号 感想                          高井美智子 

秋簾捲き上げ夕日こぼしたる小川爾美子

 今年は秋になっても暑い日が続き、未だに簾を吊している。夕方には風も出てきたので秋簾を捲き上げてみた。その時、きらきらと簾に輝いていた夕日がこぼれたように感じた作者である。秋簾の傷んだ隙間からこぼれたようにも見えたのだろうか。秋簾の特徴をよく摑み取っており、抒情の溢れ出る一句となった。

立ちたれば我は蜻蛉の渦の中百瀬千春

 作者は畑での仕事の臨場感のある句をよく詠っている。上五の「立ちたれば」は、屈みこんで畑の草毟りなどをしていたが、終ったので立ち上がった時の景であろうと推測した。蜻蛉が群れをなして飛んでいたのにも気づかず、仕事に夢中だった作者である。立ち上がった時、蜻蛉の群れは作者の気配に逃げることも無く、ひとしきり群れ飛んでいた。「渦の中」の措辞により、蜻蛉の群れの中に佇んだままの作者の様子が髣髴としてくる。                                  

発掘の現場のみ込む秋出水岩﨑のぞみ

 発掘をしている現場での嘱目吟であろう。「現場」の二文字で 秋出水が発掘の現場全体を襲ってきたことがわかる。発掘をする場所は様々であるが、川の近くのようである。発掘は堆積層を掘り下げてゆくので、周りよりも低くなる。予期もせぬ秋出水に襲われた様子を「現場のみ込む秋出水」と勢いのある語調で言い切っていることにより、秋出水の流れの速さまで感じ取れる。
 秋出水が引いた後の発掘現場の様変りは如何様であったことだろうか。   

熟柿捥ぐこの大き手は母譲り安奈朝

 熟柿を潰さないように大きな手で包み込むように捥ぎ取った。この大きな手は日常生活のあらゆる場面で、とても役立っていることを本人が一番実感している。下五の「母譲り」の措辞でお母さんに感謝している気持が仄かに伝わってくる余韻のある句となった。 

まだ動く足踏みミシン敗戦日古屋美智子

 足踏みミシンは昭和初期の頃は、どの家庭でも使われていた。物が少ない時代であり、洋裁を習った主婦が我が子の洋服をせっせと縫っていたのである。手作りの洋服は温かみがあり、愛情そのものである。片隅に足踏みミシンが置かれており、久しぶりに使ったようである。きっと足も軽やかに動いたことだろう。
 敗戦日の季語を用いた事により、物のない戦争中の状況を必死に生き抜いた一齣を描き出す句となった。

眉太き案山子や古代米の田に石川敏子

 古代米を大切に育てている田圃である。雀らに突かれないように案山子を立てているが、眉を太く描いている。きっと眦もつり上がり、雀も怖がって近寄れないことだろう。俳諧味のある句に仕上げており、自ずとこの田の明るさが醸し出されている。 

冷まじや鴨居に残る刀疵北村峰月

 池田屋や新選組屯所跡にもこの光景があるが、最近能登の明蓮寺で棚山波朗三回忌法要を終えた後、平家の落人の屋敷である平家(たいらけ)を訪ねた時の光景が広がってきた。俱利伽羅峠で戦い激闘の末敗れた平維盛の重臣が家名や家紋を変えて、ひっそりと居を構えていた屋敷である。鴨居には槍や長刀を隠すように置いており、鴨居の刀疵が深く残されていた。
 上五の「冷まじや」の季語により、敗れた平家が生き伸びた厳しさにまで思いを馳せているようだ。

梨剝くや子の難病に治癒兆し佐々木加代子

 子の難病に向き合う親とは、その現実を受け止められず、ただただ回復を信じ、その気持に揺るぎはない。上五の「梨剝くや」に違和感を感じるかもしれないが、このような状況下では、なんでもない日常の作業を無心になって行うことにより不安な気持ちを紛らわせたりする。梨を剝くと瑞々しい果汁が迸り、爽やかな香りも放つので落ち着いてくる。

幼名で呼ぶ子還暦秋高し岡本利惠子
 小さい時から「○○ちゃん」等と幼名で読んでいた我が子は還暦を迎える年となった。離れて住んでいると「○○ちゃん」の呼び方のままで通していたりする。還暦を迎えたことにより、あらためてその年月の重みを感じ入ったのである。

妻呼べど見え隠れする小望月原精一
 今年の小望月は大方は雲に覆われていた。作者も月が気になり、外に出たが月は雲に覆われていた。暫くすると今まさに雲を脱いだので妻を呼んだ。するとまたも雲がかかってしまったのだ。小望月の季語により、明日の名月への期待感が高まっていることが推察できる。