「耕人集」 2月号 感想  沖山吉和

伝馬の杭残る馬籠や冬ざるる平照子 
 伝馬(てんま)は主に中央から地方への使者などを宿継ぎで送るための馬で、律令時代から設けられていた。特に戦国時代以後、主要な道路の宿駅に常備して用にあてたという。木曽は名馬の産地としても知られ、馬は大切に扱われた。中山道木曽路の十一宿では五百頭もの木曽馬が伝馬として使われていた時代もあったという。
 周囲を高い山々が取り囲む木曽は坂道が多く、冬場はことさら人々は往来に難儀をしたことであろう。そんな中、伝馬は重要な役割を果たしていた。小さな杭なのであろうが、その大切にされた伝馬を象徴している。

縁側に陽ざしたつぷり一葉忌竪ヤエ子
 一葉忌は11月23日。わずか二十四歳六か月で肺結核のために死去した一葉。才能に恵まれ、秀作を次々と発表し文壇から注目されるものの、経済的に困窮した一家を支え、病にむしばまれながら苦難に満ちた生涯を終えた。
 「縁側に陽ざしたつぷり」は恵まれた環境の下で、何不自由なく暮らす作者の現在の生活ぶりを象徴している。苦難に満ちた短い生涯の一葉と対照的に取り合わせることにより、一葉の生涯を浮き立たせ、その早逝を惜しむ気持ちを表現している。

喪に籠る人影ゆるる白障子相原喜美栄
 喪に籠る習慣は現代では多くの地で薄れてきたが、かつて忌中は故人のために祈る期間であり、また、死の穢れが身についている期間であるとされ、家の中に籠り、穢れが他者に移らないように外部との接触を断った。掲句は、家族を亡くされた遺族が喪に服していて、その動く影が夜の家の明かりで影絵のように障子に映っているというのである。おそらく喪に籠る習慣が今も地域に残っているのであろう。
 喪に籠っているのは作者のよく知った方なのであろう。作者は障子に映る影から、家族を失った深い悲しみを思いやっては心を痛めているのである。

活魚車へ一本釣りの糶の鰤畑宵村
 「活魚車」は活魚運搬専用車のことである。大型のものが多く、長時間魚を生かしたまま運ぶことができる。魚を高値で取引できるため近年その台数も増えている。
 養殖の魚を運ぶことが多い活魚車であるが、掲句の鰤は沖で釣り上げられた一本釣りのものである。糶はすでに済んだのであろう。貴重で高価なものであるだけに、その取扱いも魚にストレスを与えないように慎重に行われる。珍しい光景に出くわした作者の高揚感が伝わってくる。

絵具の香残るアトリエ蔦紅葉金子理恵子
 先ほどまで絵具を使って絵が描かれていたアトリエ。描いていたのは作者なのであろう。懸命に描いていた間は気づかなかったが、作業を終えて一段落してふと目をやると、壁からガラス窓へはみ出している蔦がすっかり色づいていることに気づく。作者はその何葉かの蔦の葉に秋の深まりをしみじみと感じる。
 嗅覚と視覚の感覚の取合せが見事である。芸術の創作に関わる人ならではの繊細な感覚が表れた句である。

龍神の池の静けさ木の実落つ菅原源志
 清水の湧く境内の大きな池。昔から龍神様が住んでいるといわれ、さまざまな伝説も残っている。人々は、その祟りを恐れて大切に今日まで池を守ってきたのであろう。
 鬱蒼と繁った池の周囲の木々の梢から、しきりに木の実が落ちる。そのたびに静かな池面にポチャッという音が広がる。その音が一段と秋の深まりを感じさせるのである。嘱目の句ならではの描写の確かさが魅力。

満月や珊瑚の卵浮遊する与儀忠勝
 
珊瑚はれっきとした動物である。その産卵の様子はテレビ等でも時折映されるので、画像を通して目にした人も多いことであろう。 沖縄での珊瑚の産卵は種類によって異なり、夏から秋にかけての満月の夜に一斉に行われる。掲句の季語は満月であるので、この場合は秋の産卵か。薄紅の卵が次々と海面に浮きあがっては、月の光の中に浮遊する光景は、まさに幻想の世界そのもの。沖縄に住む作者ならではの嘱目吟である。

犬伏の別れの道や秋湿り早川さい子
 「犬伏の別れ」は、NHKの「真田丸」で取り上げられた。真田の血を絶やさないために父と子が敵と味方に分かれる、という名場面である。作者は今その別れの道に立っては、戦国の時代の武将の厳しい生きざまを思いやる。 
  季語の「秋湿り」は空気が湿って冷たい感じの秋の長雨である。やがて、敵味方に分かれて戦わなければならない真田親子・兄弟の心中を思うと、いたたまれぬものがあったであろう。その作者の心中が秋湿りに象徴されている。

逝きし子よ何処に座すや冬銀河丸川房子
 哀切な逆縁の叙情句である。事故か病で早逝した我が子を冬銀河を見上げては思い出している。我が子はきっとあの銀河のどこかに座って、この地球を見下ろしているに違いない、と思うと悲しみがまた新たになる。
 掲句には、相手に呼びかける意を表す間投助詞の「よ」、問いかけの意を表す係助詞の「や」の二つの特徴的な助詞が用いられている。これらの助詞が哀切な心情を表現するうえで効果を上げている。

一刃を眉間に落とし氷頭膾須藤真美子
 作者は鮭の本場の村上に在住の方である。筆者も昨年末、乾鮭を見に村上を訪れたが、乾されている鮭の数に圧倒された。氷頭膾は秋の季語。鮭の頭のてっぺんの軟骨を薄く切り取り、柚子、大根、いくらなどを混ぜて膾にして食べる。味といい、食感といい格別である。
 家族のために大きな鮭と奮闘する作者の姿がほうふつと浮かぶ。思い切りのよい表現である「一刃を眉間に落とし」が掲句の妙味である。リズム感のある響きのよい句にまとまった。

拍子木の音撥ね返す寒昴澤田穣
 昴は一つの星ではなく多くの星が集まった星団である。中国名は昴(ぼう)、和名は星が集まって一つになるという意味の「すばる」である。古くは枕草子にも出てくる。この夜は空気が澄んでいて、肉眼でもはっきり見えたのであろう。
 拍子木は、火災予防の夜回りで作者が打ち鳴らしているものであろうか。静かな夜道にその音は気持ちよいほどよく響き渡る。しかし、夜空の寒昴は、その響きさえも弾き返すほどに明るく輝いているというのである。擬人法を用いながらその美しい輝きを見事に表現している。