古典に学ぶ (89) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 光源氏の王権回復の物語 ─    
                            実川恵子 

 『源氏物語』は全54帖、原稿用紙に換算すると約2,300枚もの壮大な物語だが、その全体を概観すると、以下のような3部構成と見ることができる。第1部は1帖の「桐壺」から33帖「藤裏葉(ふじのうらば)」まで、源氏の出生から源氏が准太上天皇をきわめるまでである。第2部は34帖の「若菜上(わかなじょう)」から41帖の「幻(まぼろし)」までで、源氏の老いと死が描かれ、これまでの栄耀栄華が次第に陰っていくさまが描かれていく。第3部は42帖の「匂宮(におうのみや)」から最後の54帖「夢浮橋(ゆめのうきはし)」までで、源氏の死後、次世代の息子や孫たちが「宇治」という舞台を中心に繰り広げる物語である。

 第1部は、一般的によく知られているとても華やかな部分で、高校の教科書にもよく登場する。構造的にはかなり明確なパターンをとり、下降と上昇のようなカーブを描いている。光源氏が誕生し、3歳の年母桐壺更衣を亡くし、その後東宮の座には就けず、そして臣籍降下、最大の後ろ盾であった桐壺帝の譲位と死、妻の葵の上が死に、その妃であり、光源氏の思い人藤壺中宮出家と数々の不幸が重なる。その折、朱雀帝に入内予定の朧月夜の君との密通が発覚、彼女の姉で朱雀帝の母である弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)、右大臣家勢力から恨まれ、須磨に退去することになる。26歳の光源氏は政治の表舞台から追いやられ、嵐に翻弄される。この場面は圧巻である。ここが下降のどん底にあたり、しかし、その後は急速に反転していく。
 まず、夢のお告げを受け明石では、明石(あかし)の入道(にゅうどう)という土地の有力者の後ろ盾を得て、その姫君の明石の君と結婚する。そして、朱雀帝から都への召還がかかる。そして、朱雀帝が退位し、光源氏と藤壺の不義の子冷泉帝が即位する。内大臣となった光源氏は藤壺と協力して政治の主導権を握ることになる。養女にした六条御息所の娘が冷泉帝の中宮となり、光源氏も太政大臣(だいじょうだいじん)になり、養女とした玉鬘(たまかづら)が髭黒(ひげくろ)と結婚し、息子の夕霧も内大臣の娘の雲居雁(くもいのかり)と結婚、明石の姫君は東宮に入内し、光源氏一家の政権が極めて堅固なものとなっていく。
 その結果として、光源氏は准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)まで昇りつめる。この准太上天皇とは、譲位した天皇を太上天皇(略して上皇)といい、これに対し、光源氏は自ら即位しなかったが、太上天皇に準じると認められて太上天皇の尊号を贈られたもので、ここにようやく「天皇になれなかった皇子」は、「天皇に等しいか、それを超える存在」となったのである。このはからいは冷泉帝が、光源氏が実は父親であることを知ったことによるものであった。

 このように、私たちの人生も何かを得たり、失ったり、幸、不幸の繰り返しだが、この『源氏物語』のように、山あり谷ありの形を明確に単純化して描き出すと、その全体の骨格がはっきりしてきて読者にもとても納得しやすいものとなる。
 『源氏物語』は、このような物語のパターンからすれば、この第1部のみで終わってもよかったと思われる。しかし、作者紫式部は1部を書いている途中からおそらく、光源氏が頂点をきわめたらそれで終わりでよいのだろうか、と思い始めたのではないだろうか。光源氏が、このように栄華を昇りつめていく過程で犯した罪を、もう一度人生の後半で再び考え直させることにしたのであろう。それが、第2部である。この第2部こそ、この物語の核となるべき世界であろう。特にその冒頭は、「若菜上」と呼ばれる帖だが、『源氏物語』中、唯一の上、下2巻で、分量的にも実に多くの紙幅を費やしている。第2部、第3部については、あらためて触れてみたいと思う。