古典に学ぶ (92) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 「光隠れたまひにし後」の物語・第三部「宇治十帖」②─
実川恵子
薫は、自分が不義の子であることが明確になってしまうのが怖い。もし、真実が明らかになり、それが世間にばれてしまったら、今まで光源氏の息子としてもてはやされてきた全てを失うことになるかも知れない、と怯えてもいる。「将来は天皇に等しき位まで栄達する」と高麗の人相見に予言され、その通りに頂点を目指し果敢に挑戦し、それを実現していった光源氏とは対照的である。
正体がわからぬ父をめぐって、彼はいつも不安を抱え、怯え続ける。その一方で彼の出世はきわめて順調で、何の努力もせずに栄華への道が開かれる。その恵まれた境遇に満足できず、宇治世捨て人のように生きる八の宮(はちのみや)に魅かれていく。
この「宇治十帖」の世界は、その名のごとく京の南部の地「宇治」を舞台として展開される。当時の宇治は初瀬寺参詣の通路として知られ、厭世人の住む隠れ里、別荘地とされていた。「我が庵(いほ)は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」(百人一首・喜撰法師)と歌われたように、紫式部の頃には既に宇治には都の生活に倦んだ人や厭世した人が隠棲する所というイメージがあったようである。
こうして見ると、『源氏物語』の正編には「光源氏―京―政治権力の中心―光の世界」という構図があるのに対し、「宇治十帖」には「八の宮―宇治―仏道修行―陰の世界」という構図があることがわかる。
薫は、この八の宮という存在を知り、この人の生き方こそ自分が教えを乞う父親のような存在であると思い、接近していく。それは、光源氏的な世界に背を向け、その光源氏から疎外されていた八の宮に強く惹かれていくという志向を示している。
そして、八の宮には亡き北の方との間に大君(おおいきみ)と中の君(なかのきみ)という二人の娘がおり、父娘そろって静かに仲睦まじく暮らしている。また、この他に亡き北の方の姪との間にもうけた浮舟(うきふね)という娘が登場する。さらに薫の恋敵の、今上帝の第三皇子匂宮(におうのみや)が加わり、いよいよ読み応え抜群の恋愛模様が繰り広げられるのである。
余談だが、登場人物のネーミングが実にすばらしい。「薫(かおる)」は、生まれつき何とも言えない芳香が体中から漂い、「匂宮」は、その薫に対抗して、いつもきつく香を焚きしめ意図的に匂いを振り撒く。また、『源氏物語』の最後に登場する「浮舟」は、寄る辺なく現世と来世とを行き来する儚い舟、最後の帖の名「夢の浮橋」も夢の中の危うい通い路を想像させる。さすが紫式部の才知と思われる。
この恋愛模様については、またあらためて取り上げることとしたいが、いつもこの「宇治十帖」という物語世界を読み返す度に思うのは、千年以上も前の物語なのに、「宇治十帖」には光源氏のような特別な人物はいない。心が弱かったり、優柔不断だったり、過ちを犯したり、あるいは親離れ、子離れができていない相互依存だったり、ときわめて現代とよく似た物語であることである。
『源氏物語』の時代は、下り坂で、宗教への傾きが強くなってくる状況の中では、前向きに時代を切り開いていくようなヒーローより、この薫のようななかなか前に進めない悶々とした人間が多くなっていたのではないかという気がする。光源氏は夢を描くが、薫や大君は夢や将来を見通すことは出来にくくなっていたとも考えられる。夢を見られなくなった時代は現代とも共通する。『源氏物語』は古典だが、「古典」とは絶えず新しい意味を生み出す現代のテクストでもあるのだ。
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