古典に学ぶ (94) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 『源氏物語』に描かれた「病(やまい)」②─    
                            実川恵子 

 18歳の若き光源氏の心身を蝕んでいる潜伏性の「病(やまい)」とは、言うまでもなく義理の母である藤壺との密通という罪の意識、そして、その事実が世間に知られれば身の破滅となりかねない。さらに父桐壺帝を欺き続けるという良心の呵責は不断に光源氏を責め続けていたに違いない。そんなストレスにつけこむように病は取りつき、この隠され抑えられた思いを反映するように、病は一向に退散せずに、潜伏しながら発熱を繰り返していたのである。
 その治療に訪れた北山の聖(ひじり)の室(むろ)は、洞窟のような場所として、母の胎内のごとく光源氏を受け止め、癒し、送り出す場所となったに違いない。その母なる空間に抱かれることで、幼い日、母を失って以来、彼の心の傷を癒すような思いがあったに違いない。そして、その室での加持祈禱の治療も一段落したところで、光源氏は、ふと外界に目をやる。

 日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたう霞(かす)みたるにまぎれて、かの古柴垣(こしばがき)のもとに立ち出でたまふ。人々はかへしたまひて、惟光(これみつ)の朝臣とのぞきたまへば、ただこの西面(にしおもて)しも、持仏(ぢぶつ)すゑ奉りて行なふ尼なりけり。簾(すだれ)すこし上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息(きようそく)の上に経(きやう)を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人(びと)と見えず。四十(よそぢ)あまりばかりにて、いと白くあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末(すゑ)も、なかなか長きよりも、こよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。清げなる大人(おとな)二人(ふたり)ばかり、さては童(わらは)べぞい出(い)で入(い)り遊ぶ。中に、十(とを)ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来たる女子(をんなご)、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生(お)ひ先(さき)見えて、うつくしげなるかたちなり。髪は扇(あふぎ)をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。           (「若紫」)

 時は3月(やよい)の下旬(今の4月下旬頃)、京の桜は盛りをすぎたものの、ここ北山は今が満開でまさに春爛漫である。夕方、霞にまぎれて、源氏は随身である惟光と下にある僧坊を覗きに出かけた。辺りの景色を見る描写の繰り返しから、光源氏の病の回復が、聖の治療の効き目だけでなく、外界を「見る」行為の反復によって癒し、回復へと動き出していることを印象づけている。そこで見たものは、気品ある40すぎの尼、女房と少女たちであった。そこへ10歳ばかりのかわいらしい少女が泣き顔で走りこんでくる。

 この垣間見(かいまみ)という、恋物語の出発を描く物語の手法から逸脱して、初老の尼君と少女に魅かれてしまう。この異様な光源氏の衝動を『源氏物語』は語ろうとするのである。光源氏が、その古柴垣から見たものは『伊勢物語』の「女はらから」の優美な大人の女性ではなく、初老の尼君と幼さの残る少女であった。それはなぜか。
 先の引用の中でひときわ注目される箇所がある。それは、尼君の髪の描写の「髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしき」(髪がきれいに切りそろえられている端(はし)も、かえって長い髪よりもずっと新しみがある)と、肩まで切り下げた尼の髪型、いわゆる尼削(あまそ)ぎを源氏がしみじみとご覧になった、という描写と少女の髪は「髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして」(髪は扇を広げたようにゆらゆらとして)というまだ髪を伸ばそうとしていない少女の髪の描写である。その「ゆらゆら」と揺れる髪は、大人の髪とは異なり、まさに生命力のみなぎる様相を表現している。
 大人の女性との恋愛に傷ついた源氏には、女であることを断念したことのしるしとしての尼の断髪や、まだ女にならない少女の断髪がかえって強く印象づけられている点に、光源氏の隠された抑圧と欲望が潜んでいる。