古典に学ぶ (98) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 「瘧病」という語の意味するもの①─
実川恵子
「瘧病」という言葉の特殊性はやはり、前にも述べたように、源氏と藤壺、朧月夜との密会に関する場面にのみ出現するのであって、あきらかにに意識的に使用される。
そもそも藤壺と朧月夜には、さまざまな点で共通点や対照性が認められる。この二人の女君は『伊勢物語』65段の、帝の妃と密通する話から生成し発展して造型されたものと考えられる。また、さらに69段の斎宮物語もこれに関与し、『伊勢物語』と深い関わりのあることがわかる。いずれも帝に寵愛を受けており、同時に斎宮の面影をも与えられ、更に、この二人の女君のことはまるで縄をなうように交互に語られる。
朧月夜と初めて逢うのは、花の宴の後、藤壺を求めて逢えずにさまよっているときであったし、朧月夜に逢うと、藤壺への恋慕がかき立てられる。そして、賢木巻で朧月夜との密会が発覚するのも藤壺出家後であった。つまり藤壺と逢えないとき、その役割を交代するかのように朧月夜が登場し、物語は大きなうねりを見せる。実にうまい手法である。このようにして藤壺と朧月夜は連携しつつ須磨流離を招き寄せるのである。
なお藤壺は帝の正妃、中宮であり、朧月夜は正式な妃ではないが、単なる寵妃ではない。尚侍という内侍所の長官で、そこは宮中における伊勢神宮の機能を果たす場であることから、斎宮に比定される存在である。とすれば、天皇制にかかわる密通と病とは、切り離すことが困難なほど密接に関連しているということになる。
これに対してもう一つの密通、柏木の場合には、藤壺との密通と対比的に描かれるにもかかわらず、また、源氏が準太上天皇の位にあるにもかかわらず、瘧病はあらわれない。瘧病は源氏の密通のみに結びついているのである。その理由はあきらかではないが、瘧病が「人の発見」を伴っている点には注目してよいだろう。源氏は瘧病に罹患することによって、北山を訪れて若紫を発見するのに対し、朧月夜の瘧病は源氏との密会の現場を発見されてしまう。若紫巻の場合、源氏は童女を発見しており、賢木巻では右大臣が自分の娘のしどけない姿を見てしまう。
つまり、発見し発見されるのが、童女あるいは父親から見た娘なのである。源氏もまた、若紫の父親代わりの役割を果たすことを考え合わせると、この二つの発見は父親的な存在が娘を発見する関係として捉えなおすことができる。とすると、「わらは」という語のもつ喚起力があらためて強く迫ってくる。柏木の密通の場合にも発見は物語の重要な要素としてあるが、それは柏木が成人した女三宮を、また源氏が柏木の手紙を発見するのであって、「わらは」とは無縁である。もっとも「立っている人」を発見するという点では、柏木の場合も同様である。源氏は北山で「走り来る女子」を、また、花宴の後には「こなたざまに」立って歩いて来る朧月夜と出逢っている。だが、柏木は女三宮の立ち姿を垣間見しているにもかかわらず、「瘧病」はあらわれないのである。
瘧病はなぜ、源氏の密通にのみ語られて、柏木にはあらわれないのであろうか。更にまたあらたな疑問が浮かんでくる。ここが『源氏物語』の醍醐味なのである。
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