古典に学ぶ (104) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─柏木の病と師⑥ 柏木への怒りー
実川恵子
源氏は、柏木が女三宮と密通したことを知って激怒した。朱雀院の御賀の試楽が六条院で催されたあと、源氏は酔ったふりをして、柏木に痛烈な皮肉を浴びせかけた。
あるじの院、「過ぐる齢(よはひ)にそへて酔(ゑ)ひ泣きこそとどめ難(がた)きわざなりけれ。衛門の督、心とどめてほほゑまるる、いと心恥ずかしや。さりとも今しばしならむ。さかさまにゆかぬ年月よ。老いは、えのがれぬわざなり。」とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈(くん)じて、まことに心地(ここち)もいと悩ましければ、いみじきことも目もとまらぬ心地する人をしも、さしわきて、そら酔ひをしつつかくのたまふ、たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐりくるも頭(かしら)、いたくおぼゆれば、気色(けしき)ばかりにて紛らはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強(し)ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。
(ご主人の院=源氏は、「年をとるにつれて、酔い泣きはとめることができないものだなあ。衛門の督=柏木が、注意して、私の老いぼれを笑っておられるのは、まったく恥ずかしいことだ。そうはいっても、あなただってもうしばらくの間だろう。さかさまには進まない年月だからね。老いは誰も逃れられないものだ。」と言って、柏木の方に目をお向けになると、柏木は他の人より一段と真面目になり、ふさぎこんで、ほんとうに気分もひどく苦しいので、たいそうおもしろい舞楽(ぶがく)も目にとまらない気がする。その人を特別に名ざして、酔ったふりをしながらこんなふうにおっしゃるのは、冗談のようではあるが、柏木にはますます胸がどきっとして、盃がまわってくるのも頭が痛く思われるので、ほんのまねごとだけでごまかすのを源氏は見とがめなさって、盃を持たせたまま何度も無理強いなさるので、柏木が当惑して持て余している様子は、普通の人にくらべようもなく美しい。)
この場面の初めの源氏のことばの「さかさまにゆかぬ年月よ」(逆には流れない年月さ)とは、とても深いことばである。つまり、人間は再び若返るわけにはいかない。今は若い柏木も、じきに年をとり老人になるのだ。だから、源氏のことをばかにして笑うな、というのである。いつ読んでも胸に響く場面である。これは、『古今集』(巻十・「雑歌上」・よみ人しらず)の「さかさまに年もゆかなむ取りもあへず過ぐる齢やともにかへると」(逆に年月が流れてほしい。取りとめることもできずたちまち過ぎて老いていく年齢が逆に流れる年月と一緒に帰ってくるかどうかと試してみるために。)によっている。そして、源氏はなぜ「老いはえのがれぬわざなり」などと言って、気分の悪い柏木に酒を無理強いしたのだろうか。そのことばの意味は、当然の道理を述べているのだから、酒に酔った源氏のたんなる老いの嘆きとして受け取られるであろう。また、酒をすすめられたのも、光栄なことであったかもしれない。
しかし、柏木にはきっとこのことばの裏側に潜む源氏の意図が理解できたのであろう。それは、女三宮との密通を知る源氏の怒りが、今この機会を得て、痛烈な皮肉となり、酒の強迫となって爆発していることが分かる。つまり、源氏は柏木に対して敵意をいだき、責め立てているのである。
柏木は耐え切れず、中座して帰るが、以降苦しみは増幅していく。そして、源氏から睨まれた柏木は、そのまま病の床についてしまうのである。
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