古典に学ぶ (106) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死①ー
                            実川恵子 

 「宇治十帖」という新しく書き継がれていった物語とはどのような物語なのであろうか。その冒頭は、不遇な「八宮(はちのみや)」というある親王の物語から始まる。それ以前にも、匂宮三帖(匂宮・紅梅・竹河)という断片的な物語群があり、光源氏の物語と宇治十帖の物語を繋いでいるが、その働きは、もっぱら正編での登場人物と続編の人物を繋ぐ系譜的な役割でしかない。紫式部にとってこの続編ともいうべき物語を書くにあたって、この段階ではまだ試行錯誤の段階であったのかもしれない。
 本格的に物語世界が始動するのは、物語の舞台である宇治山荘の主人である八宮という人物を紹介する「橋姫(はしひめ)」巻冒頭である。

 そのころ、世に数(かず)まへられたまはぬ古宮おはしけり。母方などもやむごとなくものしたまひて、筋ことなるべきおぼえなどおはしけるを、時(とき)移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいとなごりなく、御後見などもものうらめしき心々にて、かたがたにつけて世を背き去りつつ、公私(おほやけわたくし)に拠(よ)りどころなくさし放たれたまへるやうなり。
 (その頃、世間から忘れられておいでの宮様がいらっしゃった。母方なども、高い家柄でいらっしゃって、特別の位におつきになる噂などおありだったが、時勢が変わって、世の中からつれない扱いをおうけになった。ごたごたの末、お噂があっただけに昔の面影もなく、お世話役の人々なども、それぞれあてはずれの気持ちで、理由はいろいろながら官途から身をひいていき、外でも家庭でも頼るあてもなく、見放された様子である。)

 この古宮(八宮)とは、この冒頭では、正編の誰の関係者なのか明確でない。「そのころ」と言われても、一体いつのことなのかがはっきりしない。おぼろげな表現と展開にこそ作者の意図したものがあるのだろう。続いて「母方などもやむごとなく」とあるから、この皇子の母は女御だったに違いない。そして、母が女御であって、「筋」が異なってしまいそうな評判があったというのであるから、この親王は、皇太子に立てられる可能性があったというのだ。しかし、なまじそんな期待があっただけに、一旦それが潰れてしまうと、この皇子は一気に不遇になり、誰からも相手にされないようになってしまったというのである。
 この八宮の一生は、光源氏の陽(よう)に対して、陰(いん)のように両者は対照的である。「いとやむごとなき際(きは)にはあらぬ」更衣の腹に生まれ、源氏という臣下に落とされたおかげで、皇太子争いに巻き込まれることなく、しぶとく生き延びて、ひそかな罪を契機として栄華を手にした光源氏と比べると、この「母方などもやむごとなくものしたまひて」という古宮は、生まれた時から恵まれた環境で、競争を生き抜いていくことを知らず、政争の荒波に揉まれて、投げ出されてしまったようである。
 さらにこの八宮には、名門出身の北の方がいたことが語られる。

 北の方も、昔の大臣の御むすめなりける。あはれに心細く、親たちの思(おぼ)しおきてたりしさまなど思ひ出(い)でたまふに、たとしへなきこと多かれど、古き御契りの二つなきばかりをうき世の慰めにて、かたみにまたなく頼みかはしたまへり。
 (北の方も、今はなき大臣の御むすめであった。しみじみ心細く、御両親が期待しておられたことなどをお思い出しなさると、たとえようもなく悲しいことが多いが、長年つれそう御仲の世に類例もないのだけを、つらいこの世の慰めとして、たがいにこの上なく頼りあっていらっしゃった。)

とあり、名門同士の結婚であり、八宮の皇太子になる道が閉ざされてしまうと、みじめでつらいことが多かったという。しかし、この二人は仲が良く、それを支えに、失望の人生を生きてきたというのである。この冒頭文に頻出する「世」ということばに注目したい。