古典に学ぶ (108) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死③ 八宮の病と死ー
                            実川恵子 

 物語は、この光源氏の政治的対立者である一人の宮の境遇から語り始められる。そして、その八宮の生き方も、光源氏とは対照的である。光源氏は八宮と違って、多くの妻を持ちながら、その妻たちの中で最愛の人であった紫上との関係は、信頼と愛とを持ちこたえられず、最後には隙間が広がっていた。それに対して、世間の扱いがどうであろうと、妻との強い信頼感に裏づけられた八宮の生活はそれなりに充実していた。

 物語は、たぶん読者にこう問いかけているのだろう。あの光源氏の豪華で壮麗な虚しさと、八宮のささやかな幸せとどちらが本質的か、それが問題なのだ、と。不幸でみじめに見えた敗北者八宮の人生もまた、そのかけがえのなさで光源氏の人生としっかり向き合っていたのである。
 しかも、不遇の人生の中で、ひたすら仏道修行を積み重ねてきた八宮は、その宗教への帰依の深さで、一つの救いを得ている。あまりにも多くのものを持ちすぎて出家をなかなか決意できずに、生き悩んでしまう光源氏と比べて、八宮の私欲におおわれない心である道心(どうしん)は、追いつめられた者の一途さで追求され、この世への執着をつきぬけていたのである。
 その八宮もまた、型破りの聖人君子ではなく、煩悩に迷ってしまうところから、物語は始まる。迷いを抱えながら、なお救いに向かって迫り寄っていこうとする、一人の誠実で不器用な男の物語として、「宇治十帖」は語ろうとしているのである。
 また、不幸なことにあれほど大切にしてきた北の方までもが亡くなってしまう。八宮はその北の方と長年、子のないことを嘆いていたが、晩年になってようやく一人の美しい娘が生まれ、この子をかけがえのない宝と思って育てていると、翌々年にもう一人、姫君が生まれ、その出産の際に、図らずも北の方は命を落としてしまったのであった。
 八宮の落胆と絶望は計り知れないものであったが、北の方の遺言で、八宮はこの姉妹の姫君を北の方の形見と思って、大事に育てることとなり、出家もできない。また、二人の娘に継母ができてはかわいそうだと思った八宮は、再婚もせず、家は荒れていく一方であった。
 北の方を失って、ひたすら出家を願う八宮は、この二人の娘が気がかりで、出家まで思い切れず、俗世にとどまりながら、仏道修行に熱心に取り組んでいた。
 この気の毒な境遇の人物に、読者の同情が集まるように紹介した所で、物語は、先ほどの政治的敗北の事情を語っているのである。この一方的被害者に近い八宮をこのように語ることで、「宇治十帖」は読者に、今度は八宮の立場に寄り添って、これまで語られてきた物語をもう一度捉え直すことを求めているのである。これまでの栄華至上主義、権力至上主義というものを疑い始める物語として始まっているのである。

 栄華だけがすべてで、栄華と結びつかないものは無意味なのか。天皇を中心とし、天皇家にいかに食い込んでいくかが価値の規範であった光源氏の物語と異なり、この続編の物語は、出家・昇進・権力の獲得に大きな価値を置かない。それらによって失われてしまった夫婦の平凡な愛情や親子の情愛、友情や信頼、宗教的な救済について新たな物語は語ろうとするのである。
 さらに八宮は、北の方に続き、古い邸まで火事で失い、宇治の山荘に移り住むしかなかったと語られる。家も無くなり、都に住み続けることが出来なくなった八宮は、宇治の川辺の山荘に落胆の身を寄せることになるのであった。