日本酒のこと  (20)                     安 原 敬 裕
 「仕込み水」  

 日本酒の成分の8割は水です。それだけ水はお酒の香味に大きな影響を与えるものであり「名水あるところ銘酒あり」と云われる由縁です。酒造りに使う水は「仕込み水」と呼ばれ、主としてお米を発酵させる醪もろみタンクに投入しますが、それ以外でも蒸す前の浸米とか原酒のアルコール度数を下げるための加水等に使用されます。
 この仕込み水には水道水を上回る厳しい水質基準があり、中でも鉄分とマンガンは酒質の劣化や着色の原因となるため厳しく規制されています。その水のなかでカリウムやリン等のミネラル分を多く含むものが硬水であり、その反対が軟水です。硬水では灘の宮水が有名です。また日本の水の多くは軟水であり、その中でも伏見(御香水)や広島、会津等の軟水がよく知られています。そして硬水で醸した酒は発酵力が強くキレの良い辛口に、また軟水の場合は発酵が緩やかなためまろやかでスッキリしたお酒に仕上がります。この点は、男酒と呼ばれる「菊正宗」等の灘の酒と、女酒と呼ばれる「まつもと」等の伏見の酒を飲み比べれば違いが歴然としています。
 よく「江戸の下り酒」と云われ江戸末期には灘の日本酒が珍重されましたが、その理由は力強く発酵していることからその品質の良さに加えて腐敗しにくかったことが挙げられます。その意味で軟水の酒は苦労したようですが、明治31年に広島県の三浦杜氏が吟醸酒造りの手法である長期低温仕込みに成功して灘を上回る評価を得ました。そのお陰で我々日本人は、硬水と軟水による多様なお酒の香味を楽しめるようになったのです。
 硬水と軟水には国際的な基準があり、ミネラル分60以下が軟水、120までが中硬水、180までが硬水、それ以上が超硬水とされています。宮水は180程度、伏見の御香水は40程度です。私が飲んだ中で最も硬度が高いのは奈良県御所市の「油長・風の森」の200であり、軟水では上田市の「瀧澤」の20です。そして、この「瀧澤」を初めて飲んだ時は、そのまろやかでシルクのような飲み口に思わず驚嘆の声を発しました。
 これら仕込み水は湧水や伏流水を汲み上げる方法が一般的ですが、愛媛県内子町の「吹毛剣」の酒蔵のように、敢えて水質を理由に水道水に変えるケースもあります。現在では、フィルターで鉄分等を除去したり、逆にミネラル分を補給したりすることも認められています。お米と違い持ち運びのできない仕込み水の世界も様変わりしているようです。この仕込み水を気前よく汲ませてくれる酒蔵も数多くあり、青梅市の「澤乃井」もその一つです。私は奥多摩の登山や観梅の帰りには、この蔵に立ち寄り一杯引っかけた後にペットボトルに汲んだ水を持ち帰るのが通例となっています。この仕込み水は、「和らぎ水」と呼びますがお酒の合間に飲むと深酔い防止の効果があります。
冷酒に色づく木花咲耶媛良雨