古典に学ぶ (115) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死⑩大君の病④ ー
                           実川恵子 

 このまま大君が逝ってしまったら、どんなに悲しいことかを切々と訴える薫。そして、多くの思いは残しながらも、もはや応える気力も失せてしまったことの無念さを訴える大君。「総角(あげまき)」巻終盤では、死別を前にして二人の心が痛ましく語られる。

 いとどなよなよとあえかにて臥したまへるを、むなしく見なして、いかなる心地せむと、胸もひしげておぼゆ。「日ごろ見たてまつりたまひつらむ御心地も、やすからずおぼされつらむ。今宵だに心やすくうち休ませたまへ。宿直人(とのゐびと)さぶらふべし。」と聞こえたまへば、うしろめたけれど、さるやうこそはとおぼして、少し退(しりぞ)きたまへり。
 直面(ひたおもて)にはあらねど、はひよりつつ見たてまつりたまへば、いと苦しく恥づかしけれど、かかるべき契りこそはありけめとおぼして、こよなうのどかにうしろやすき御心を、かの片つ方の人に見くらべたてまつりたまへば、あはれとも思ひ知られにけり。むなしくなりなむ後(のち)の思ひ出にも、心ごはく、思ひ隈(ぐま)なからじと、つつみたまひて、はしたなくもえおし放ちたまはず。夜もすがら人をそそのかして、御湯などまゐらせたてまつりたまへど、つゆばかりまゐる気色(けしき)もなし。いみじのわざや、いかにしてかはかけとどむべきと、言はむ方なく思ひたまへり。
 (いっそうなよなよとかよわげに横になっていらっしゃるのを、このまま亡くなるとしたら、どんな気持ちがするだろうと、薫は胸もつぶれるように感じられる。「ここずうっと、ご看病なさっておいでになってご気分もやすまらずにおられましょう。せめて今夜だけでもゆっくりとお休みなさいまし。私が宿直人をお勤めしましょう。」と申しあげると、中君は気がかりではあるが、そうするわけがあるのだろうとお思いになって、少し奥にお入りになった。(中君は薫と大君が二人きりで話される必要があるのだろうと察して、遠慮したのだろうか。)
 大君と面と向かいあってではないが、薫がいざり寄って拝見なさるので、大君はとてもつらくて恥ずかしいけれど、こうなるはずの前世の因縁があったのであろうとお思いになって、このうえもなく穏やかで安心のできる薫の君のご気性を、あのもうお一人の方の匂宮と見比べ申しあげなさると、しみじみありがたいことともついお感じになるのであった。そして、自分がこの世を去ってしまう後の思い出にまで、強情で、相手の気持ちを考えない女だとは思われまいと、気がねなさって、薫をそっけなくもつき放すようなことはおできにならない。薫は夜通し、女房を指図して、お茶などをさしあげさせ申しあげなさるが、ほんの少しばかりも召しあがる様子もない。薫は「なんとつらいことよ。どうすればお命をとりとめることができるだろうか」と、言いようもない気持ちでいらっしゃる。)

 見舞いに来た薫をこれまでとは違って、大君は迎え入れるような感じである。大君はその苦しさの中で、お出でをお待ちしていた好意の気持ちを述べ、一方薫はこれまでの大君の冷たさを恨みつつ、弱弱しげな大君の姿に胸が張り裂けそうな思いになってしまうのであった。
 そして、面と向かいあってではないが、薫がいざり寄って大君を見守った。あらわに見られるのは「苦しく、恥づかし」くはあるが、大君はこれも前世からの因縁だと思う。さらに、浮気な匂宮と比べて、薫の人柄を評価するのであった。しかし、薫の愛を受け入れるというのではなく、死を予感して、「心ごはく、思い隈なからじ」(情の薄い頑なな女として、薫に記憶されまいと)と心づかいして、薫を近づけるのであった。