古典に学ぶ (117) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか① ー
実川恵子
『源氏物語』には、およそ30人の人々の死が描かれる。柏木、八宮などの男性を除き、圧倒的に女性の死が多く語られる。その中でも、特に女性の死においては、死に至るまでの理由や、その折の様子、死の間際や死後の姿、また遺された人々の哀惜という死の場面が実に詳細に描かれる。そして、それらは異様ともいえるほど美化され、描写されていることに気がつく。なぜ、詳細に、美的に描かれたのだろうか。光源氏の周辺の女性に焦点をあて、その意味や役割について考えてみたいと思う。
これまで触れえなかった女性に焦点をあて、その死の場面の描き方を考えていきたい。なかでも物語の展開順に登場する夕顔、葵上、六条御息所(ろくじょうみやすどころ)、藤壺、紫上の5人をあげたい。
夕顔は、夏の夕方に開く白い花で、親しみやすく、美しいがどこか儚げな花で、夏7月の季語にもあげられる。その花のような女性であった。物語では、源氏17歳の折、頭中将(葵上の兄)ら親しい友人から恋の体験談「例の雨夜(あまよ)の品定(しなさだ)め」を聞かされ、興味を持つ。この頃、源氏は六条御息所(ろくじょうみやすどころ)と密かにわきまえのない仲になっていたが、御息所邸に通う途次、老病を養う五条の乳母を見舞った。その折、隣家の女、夕顔を知る。
源氏は、大弐乳母の子で側近の惟光に命じてこの女の素性を探らせた。それによると、身もとを隠してこの家に住み、頭の中将と縁故のある人らしい。源氏はますます興味をそそられ、自らの身分を明かさぬまま女のもとに通いはじめた。夕顔は、おおらかで、もの柔らかで、女の魅力のとりこになってしまった。正妻の葵上や気位が高く思慮深い六条御息所との、常に緊張感を強いられる関わりとはまるで異なり、身も心も安らぐ快さが彼女から得られたのであった。異常な執着で、いまや夕顔は源氏にとってなくてはならぬ女性となっていた。
8月十五夜、夕顔の宿で明け方を迎えた源氏は、女と共に水入らずの時を過ごしたいと思い、侍女の右近を伴い、暗闇のなかを六条の某院(なにがしのいん)に赴いた。そこは王家の所領で、木々が鬱蒼と茂り、池も水草に埋もれて、人気もなく、荒れ果てた広大な邸であった。源氏は脅える女を慰めながら、この別世界で愛を確かめたのであった。ところが、その真夜中のことであった。
宵(よひ)過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上(まくらがみ)にいとをかしげなる女ゐて、「おのが、いとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思(おも)ほさで、かくことなることなき人を率ゐておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすと見たまふ。物に襲(おそ)はるる心地して、おどろきたまへれば、灯(ひ)も消えにけり。うたて思さるれば、太刀を引き抜きて、うち置きたまひて、右近を起こしたまふ。これも恐ろしと思ひたるさまにて参り寄れり。
(宵を過ぎるころ、少しとろとろとなさっていると、枕元にたいへん美しい様子の女がすわって、「わが身が、まことにめでたき夫とお慕い申しているのに、お訪ねくださらず、かように別段のこともない女をお連れなされて、ご寵愛になるとは、ほんとうに心外で、つらいことだと思います」と言って、君のおそばの人をつかまえて、引き起こそうとする夢をご覧になる。物におそわれるような気持がして、はっと目をお覚ましになると、灯も消えてしまっていた。気味わるくお感じになるので、太刀を引き抜いてそばにお置きになって、右近をお起こしになる。右近も恐ろしいと思っている様子で、おそばに寄ってきた。)
物語には、物怪(もののけ)がよく現れるが、この場面は、怪異の描写が際立っている。何度読んでも、作者の文章上の工夫や恐怖感の高まりが適切な素材の選択と、表現によって真に迫ってくる。実に見事である。
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