はいかい漫遊漫歩    松谷富彦
(204)春の宵レジに文庫の伏せてあり  清水哲男

 第25回H氏賞、第1回詩歌文学賞、第2回萩原朔太郎賞、第6回山本健吉賞など数多の受賞歴を持つ詩人、俳人の清水哲男さん(2022年3月、84歳没)は、1997年から2016年まで20年間、1日1句増殖のインターネットサイト『増殖する俳句歳時記』を運営。有名、無名俳人、文人俳詠みなどの多岐にわたる俳句を鑑賞、紹介してきた。

 サイト開設から10年間は、数回を除き1人で1日1句鑑賞、増殖作業を続け、2006年夏からは詩や俳句仲間の松下育男、八木忠栄、今井聖、中岡毅雄、今井肖子、土肥あき子、三宅やよいさんらが加わり、交代で増殖作業を続けた。

 清水さんは還暦を迎えた1998年2月15日の誕生日から、以降増殖停止まで18年簡、誕生日ごとに自句自解の1句を加えていく。

 タイトル句〈 春の宵レジに文庫の伏せてあり 〉は、句集『打つや太鼓』所収の1句。2009年の誕生日の増殖句だが、この日がたまたま当番だった松下育男さんが選句、鑑賞。その一部を引く。

 〈 レジの上に、不安定な格好で伏せられた文庫本が、まざまざと目に見えるようです。その文庫本を手にする人の思いの揺れさえ、じかに感じられてくるから不思議です。なんとうまくこの世は、表現されてしまったものかと、思うわけです。〉

 漫遊漫歩子の鑑賞を加える。夜更けたコンビニで独り店番のアルバイト学生が、暇つぶしに文庫本を読んでいると客が来て、持ち帰りのおでんを注文。店番の若者は読んでいた文庫本をレジ横に伏せて接客。「玉子、はんぺん、じゃがいも、すじ、だいこん」と客。黙々と応じ、客が無言で出て行くと、若者はまた読みかけの文庫本を手にする。そんな情景が浮かぶ。都会の孤独が二重写しになる好きな句である。

 増殖歳時記の哲男句(句集『匙洗う人』)から自句自解句を拾う。

将来よグリコのおまけ赤い帆の

 冒頭に〈 自句自註など柄でもないが、60回目の誕生日に免じてお許しいただきたい。子供の頃、なけなしの小遣いをはたいて、せっせとグリコを買っていた時期がある。告白すれば「おまけ」が欲しかっただけで、飴をなめたいわけではなかった。…「おまけ」の小箱にはさまざまなセルロイド製の玩具が入っており、取り出す瞬間のゾクゾクする気分がたまらなかった。「なあんだ」とがっかりしたり、「やったあ」と大満足したりと……。それだけのために、全財産(!)をはたいていた。そうした子供の熱中を思うにつけ、どんな子供にも「将来」があるのであり、でも「将来」にはグリコの「おまけ」ほどの保証もないことを思い合わせると、まことに切ない気分になってくる。本物の赤い帆が待ち受けている子供など、皆無に近いのだから。(哲男)〉ちなみに哲男さんの俳号は、赤帆。

春いくたび我に不落の魔方陣

〈「魔方陣」はn×n個の升目に数を入れて、縦、横、斜め、どの1列のn個の数も一定になるようにしたもの。紙の上の魔方陣ならいずれ何とかなるけれど、「春いくたび」馬齢を重ねて見ても、人生の魔方陣ってやつはどうにもならないなあ…と。物心ついたときには、空爆が日常という世代である。死なないで、今日誕生日を迎えられたのは偶然だ。私という存在は、神さまが気まぐれに解く魔方陣の片隅に入れていただいた一つの数字のようなものかもしれない。〉(続く)

(205)弁当を分けぬ友情雲に鳥    哲男 

 前話に続いて『増殖する俳句歳時記』の清水哲男さんの誕生日搭載句を引く。                 2004年搭載のタイトル句 弁当を分けぬ友情雲に鳥

 〈 30代の半ばころ、久しぶりに田舎の小学校の同窓会に出席した。にぎやかに飲んでいるうちに、隣りの男が低い声でぼそっと言った。「君の弁当ね…」と、ちょっと口ごもってから「見たんだよ、俺。イモが一つ、ごろんと入ってた」。はっとして、そいつの横顔をまじまじと見てしまった。彼は私から目をそらしたままで、つづけた。「あのときね、俺のをよっぽど分けてやろうかと思ったけど、でも、やめたんだ。そんなことしたら、君がどんな気持ちになるかと思ってね。つまんないこと言って、ごめんな」。

  食料難の時代だった。私も含めて、農家の子供でも満足に弁当を持たせてもらえない子が、クラスに何人かいた。…当時の子供はみな弁当箱の蓋を立て、覆いかぶさるよにして、周囲から中身が見えないように食べたものである。粗末な弁当の子はそれを恥じ、そうでない子は逆に自分だけが良いものを食べることを恥じたのである。

  食欲が無いとか腹痛だとかと言って、さっさと校庭に出てしまう子もいた。私も、ときどきそうした。粗末な弁当どころか、食べるものを何も持ってこられなかったからだ。校庭に出て、お互いに弁当の無いことを知りながら、知らん顔をして鉄棒にぶら下がったりしていたっけ。そんなときに、北に帰る渡り鳥が雲に入っていった様子が見えていたのかもしれないが、実は知らない。でも、私の弁当のことを気遣ってくれた彼の友情を知ったときに、ふっと見えていたような気になったのである。〉

  20年に渡るサイト歳時記の増殖を停止した2016年の最後の誕生日搭載句と自解を紹介する。

被爆後の広島駅の闇に降りる

 〈「増殖する俳句歳時記」は当初の予定通りに、20年が経過したので、本日をもって終了します。最後を飾るという意味では、明るくない自句で申し訳ないような気分でもありますが、他方ではこの20年の自分の心境はこんなところに落ち着くのかなと、納得はしています。戦後半年を経た夜の広島駅を列車で通ったときの記憶では、なんという深い闇のありようだろうと、いまでも思い出すたびに一種の戦慄を覚えることがあります。あの深い闇の中を歩いてきたのだと、民主主義の子供世代にあたる我が身を振り返り、歴史に翻弄される人間という存在に思いを深くしてきた人生だったような気もしております。…(清水哲男)〉

 『増殖する俳句歳時記』は、増殖を停止したが、現在も閲覧可能である。