古典に学ぶ (118) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか② 夕顔の死 ─
                           実川恵子 

 8月十五夜の夜半、源氏は美しい女が陰々たる恨み言を述べるとともに、傍らに寝ている女をかき起こそうとする奇怪な夢を見る。何ものかに襲われる感じにはっと目をさますと、燈火の消えた漆黒の闇の中で、女はわなわなと震えており、正気も失せている様子である。
 動転した源氏は、太刀を引き抜き、番人を呼び、物の怪を払うための弦(つる)打ち(矢をつがえず、弓の弦だけを打ち鳴らすこと)などを命じ、寝所に戻ってみると、

 女君はさながら臥して、右近はかたはらにうつ臥したり。(源氏)「こはなぞ、あなもの狂ほしの物怖(お)ぢや。荒れたる所は、狐などやうのものの、人をおびやかさんとて、け恐ろしう思はするならん。まろあれば、さやうのものにはおどされじ」とて、引き起こしたまふ。
(右近)「いとうたて、乱り心地のあしうはべれば、うつ伏してはべるや。御前(おまえ)にこそわりなく思さるらめ」と言へば、「そよ、などかうは」とて、かい探りたまふに、息(いき)もせず。引き動かしたまへど、なよなよとして、我にもあらぬさまなれば、いといたく若びたる人にて、物にけどられぬるなめりと、せむかたなき心地したまふ。
 (中にお入りになって手探りなさると、女君はもとのまま横になって、右近はその側にうつ伏している。源氏は、「これはまたどうしたのだ。まあ、気違いじみたこわがりようだ。こんな荒れた所は、狐などのようなものが、人をおどろかそうとして、恐ろしく思わせるのだろう。だが、私がいるから、そんなものにはおどされないぞ」と言って、右近を引き起こしなさる。右近は、「ほんとに恐ろしくて、気分が悪うございますので、うつぶしております。私よりもご主人のお方様には、むしょうに恐ろしくお思いでいられましょう」と言うので、源氏は、「そうだ。どうしてこんなに怖がるのだろう」と言って、手探りなさると、息もしない。揺り動かしてごらんになるが、ぐったりとして気を失っている様子なので、たいそう子供じみた人だから物の怪に正気を奪われてしまったのだろうと、途方にくれたお気持ちである。)

 この時、宿直の者は、留守番の子、上童(うえわらわ)、随身の三人だけで、一度来ていた惟光は不在であった。

 紙燭(しそく)持て参れり。右近も動くべきさまにもあらねば、近き御几帳を引き寄せて、(源氏)「なほ持て参れ」と、のたまふ。例ならぬことにて、御前近くもえ参らぬつつましさに、(なげし)にもえのぼらず。(源氏)「なほ持て来や。所に従ひてこそ」とて、召し寄せて、見たまへば、ただこの枕上に夢に見えつる容貌(かたち)したる女、面影に見えて、ふと消え失せぬ。昔の物語などにこそかかる事は聞け、といとめづらかにむくつけけれど、まづこの人いかになりぬるぞと思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず、添ひ臥して、ややとおどろかしたまへど、ただ冷えに冷え入りて、息はとく絶えはてにけり。

 (警備の武士が明かりを持参した。右近も動けそうな様子ではないから、手近の几帳を引き寄せて、「もっと近くまで持って来い」とおっしゃる。そう言われても普段にないことなので、おそば近くにも参上できない遠慮のため、長押にも上がりかねている。「もっとこちらへ持ってくるのだ。遠慮も場所によりけりだ」とおっしゃって、お取り寄せになって、女をご覧になると、ついその容貌の女が幻となって見え、ふっと消え失せてしまった。昔の物語などにはこういうことは聞くものだが、まったくめったにないことで、気味が悪いけれど、何よりもまずこの人がどうなってしまったのかと気が気でないから、ご自身がどうなるかもかまっているゆとりもなく、寄りそって、「これこれ」と意識を取り戻させようとなさるが、ただもうすっかり冷え切って、息はとっくに絶えはててしまったのであった。)