古典に学ぶ (119) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか③ 夕顔の死 ─
                           実川恵子 

 夜中すぎ、風が少し荒々しく吹き、木深い梟の声が無気味に聞こえる。源氏は、夕顔の亡骸のかたわらで「千夜を過ぐさむ心地」(千夜を過ごすようなお気持ち)で、今か今かと夜明けを待った。その恐怖はいかばかりであったろうか。
 この人目を忍ぶ恋の不面目な結末を、世間に知られることはあってはならないことであった。明け方、やっとのことで随身の惟光がやってきて、源氏は気が緩んだのか、17歳の少年に戻り、右近ともどもはげしく泣きだしてしまった。惟光の奔走によって、夕顔の遺骸を東山に送ることになった。

 明けはなるるほどのまぎれに、御車寄す。この人をえ抱きたまふまじければ、上蓆(うはむしろ)に押しくくみて、惟光乗せたてまつる。いとささやかにて、うとましげもなくらうたげなり。したたかにしもえせぬば、髪はこぼれ出でたるも、目くれまどひて、あさましう悲しと思せば、なりはてんさまを見むと思せど、(惟光)「はや御馬(むま)にて二条院へおはしまさん、人さわがしくなりはべらぬほどに」とて、右近を添へて乗すれば、徒歩(ち)より、君に馬は奉りて、括り引き上げなどして、かつはいとあやしく、おぼえぬ送りなれど、御気色のいみじきを見たてまつれば、身を捨てて行くに、君はものもおぼえたまはず。われかのさまにておはし着きたり。
 (夜がすっかり明るくなるころの人々の動きにまぎれて、お車を寝殿につけた。源氏の君はこの人をお抱きになれそうもないので、畳のうえに敷く上敷きで、唐綾の表に錦のへりに裏に綿の入った上蓆に押し包んで、惟光が車にお乗せする。とても小さくて、気味悪さもなくかわいらしい感じである。厳重に包むことなどはできないので、髪が蓆の隙間からこぼれ出ているにつけても、目の前が真っ暗になり、動転して、たまらなく悲しいので、最後の姿まで見届けようとお思いになるが、惟光は、「早く御馬で二条院へお出でなさるのがよろしい。人通りが多くなりませぬうちに」と言って、右近を夕顔の亡骸と一緒に車に乗せたので、自分は徒歩になり、馬は君に差し上げて、指貫のくくりを引き上げなどして、一方ではじつに奇妙な思いがけない野辺の送りだけれども、君のご様子がとても大変なのを拝見し、自分のことはかまわず出かけてゆくと、源氏の君がどうなっているかもわからず、正気もなくなった有様で二条院に帰り着かれた。)

 悲しみと悔いに分別を失った源氏は、二条院に帰っても生きた心地もなく、見舞いに訪れた頭中将の目はどうやらごまかしたものの、耐えかねて自ら東山におもむいた。この悲しみのあまり源氏は病に倒れ、一時は危ぶまれるほどであったが、帝や左大臣の愛情ある努力によってなんとか一命を取りとめることができた。
 この夕顔の葬送の場面で、注目すべきは夕顔の亡骸について「いとささやかにて、うとましげもなくらうたげなり」という源氏の視線を通しての描写である。

 夕顔という女性は、源氏物語の二巻「帚木(ははきぎ)」巻で間接的に登場するものの、具体的にその姿が描かれるのは「夕顔」巻のみであることや、源氏が夕顔を初めて見た場面やその関係を深めていく過程で「このほどの事くだくだしければ、例の漏らしつ」(この間のことは、長たらしくなるから、例の通りに省くことにした。「夕顔」巻)と省略されてしまうことから、夕顔の具体的な描写の箇所はけっして多くない。だが、そうした中でも注目すべきが、この「らうたげなり」という姿形についての形容動詞である。この「らうたげ」という評価は夕顔の少ない描写の中で繰り返し登場する。これらの描写がどのような意味をもつのだろうか。考えてみることにしたい。