鑑賞「現代の俳句」 (27) 沖山志朴
筈のなき物に躓く実朝忌川井城子〔表情〕
[俳壇 2023年 4月号より]
高齢になると、ちょっとした段差で躓いて転倒し、思わぬ大怪我をしてしまうことが少なくない。ときには、骨折などで長期の入院を余儀なくされ、それが原因で一気に老化が進んでしまうというケースもある。実朝忌のこの日も、作者は、わずかな段差でひやりとするような経験をしたのであろう。
実朝も、幕府の体制がまだ確立していない不安定な社会状況の時代だけに、わが身の危険を感じることもしばしばあったであろう。しかし、よもや自身の右大臣就任の報告拝賀を行うために赴いた鶴岡八幡宮で、それも身内に暗殺されるとは思ってもいなかったのではないか。自分に限ってはそのようなことは起こらないと思っていても、世の中、いつ、どこで、どんな厄難が待ち受けているか分からないものである。
天にふぶける寂庵の紅しだれ黒田杏子〔藍生〕
[俳壇 2023年 4月号より]
黒田さんは、現代俳句女流賞、俳人協会新人賞、蛇笏賞など数々の賞を受賞した。また、日本中の桜を訪ね歩いたことや、生前の瀬戸内寂聴さんと親しく交流を重ねたことでもよく知られている。
寂聴さん亡き後の、寂聴庵のしだれ桜の落花を詠って故人を偲んだ句。あたかも天国に向かって花びらが舞い上がるようであるという。そんな黒田さんも今年3月、84歳で急逝された。きっと天国で二人して、俳句談議に花を咲かせているのかもしれない。合掌。
追ひかけて追ひかけられて鴨帰心稲畑廣太郎〔ホトトギス〕
[俳壇 2023年 4月号より]
今冬も、筆者は近くの池にやってきた十羽ほどのともえ鴨の観察を続けた。3月に入るとこの群れが池の中心部に集まるようになり、盛んに鳴きあったり追いかけあったりしていた。そして、中旬のある日、忽然と姿を消した。
鴨が鴨を激しく追いかけ回すのは、どうやら、渡りの前に多く見られるペアや仲間の絆を深めるための行動の一つのようである。掲句は、そんな鴨の行動の特徴をよく観察して焦点化し、リズムよくまとめている。作者の観察眼の鋭さに敬服するばかりである。
大寒の芯打ち鳴らす法鼓かな藺草慶子〔屋根・星の木〕
[俳句四季 2023年 4月号より]
法鼓は、禅寺の法堂に備えてある法要儀式に用いる太鼓のこと。円筒形の両断面に牛や馬の皮を張り、ふちを鋲で留める。これを二本の桴で打ち鳴らす。
掲句の眼目は、中七の「芯打ち鳴らす」である。常識的に味わうならば、打ち鳴らすは法鼓に掛かり、法鼓の中央を狙って打ち鳴らす、という意味合いになろう。しかし、それだけではなく、大寒の法堂の冷え切った重い空気の真ん中をも打ちつけ、震わせ、法要の始まりを力強く告げている、と味わうと凛たる世界が拓けてくる。
我が庭のこんなところに目白の巣古賀しぐれ〔未央〕
[俳句四季 2023年 4月号より]
目白は、鳴き声が美しく、彩や姿も愛らしい。そのため一昔前までは、鳥好きの人たちに愛好され、何羽も飼育する人も少なくなかった。地域によっては、鳴き合わせ会なども行われ、優勝するとその目白は高値で取引されたりもした。
目白は、蜘蛛の巣などを材料にしてちんまりした目立たない巣を作る。そのため身近な場所に営巣していても気付きにくい。この愛くるしい鳥の巣を、意外にも我が家の庭で発見した瞬間の作者の驚きや、喜びようが素直に伝わってくる句である。
かあさんと墓を呼ぶ父冬日差す小川軽舟〔鷹〕
[俳句界 2023年 4月号より]
「かあさん」というひらがな表記がなんとも切ない。生前の夫婦の絆がいかに強いものであったか、そして、妻の死がどんなに受け入れがたいものであったか。掲句を読んで、父親の心境が痛いほどよく分かる、という人は少なくないであろう。
「かあさんの花もそろそろ枯れる頃だろう。暮の内にかあさんのところに行っておかなくては・・」。そんな父親の声が聞こえてきそう。もう一方に父親の心情をよく理解し、見守る家族の温かい視線が感じられる。
まゐつたと言ひて楽しき夕立かな 相子智恵〔澤〕
[俳句 2023年 4月号より]
人間模様を風刺的に表現したという点において、掲句は、俳諧味を指向した川柳に近い句といえるであろう。「まいったな、一張羅がすっかり濡れてしまったよ。でも空が明るくなってきたから、すぐにやむだろう」。廂の下からそんな男同士の明るい会話が聞こえてきそうである。
俳句が世界に広く受け入れられるその要因の一つは、掲句が示すように世界最短の詩でありながら、バリエーションに富む文芸であるという点にあろう。
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