古典に学ぶ (120) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか④ 夕顔の死 ─
                           実川恵子 

 夕顔の少ない描写の中でも、特に注目すべきなのが、次にあげる4例だと思われる。
「容貌(かたち)なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる(顔だちは、ぼんやりとですが、じつにかわいらしげでございます)
「白き袷、薄色のなよよかなるを重ねて、はなやかならぬ姿、いとらうたげに、あえかなる心地して、そこと取り立ててすぐれたることもなけれど、細やかにたをたをとして、ものうち言いたるけはひ、あな心苦しと、ただいとらうたく見ゆ」(女は=夕顔、白い袷に薄紫の柔らかな表着(わぎ)を着重ねて、はなやかならぬ姿が、ほんとうにかわいげで、華奢で美しい感じがして、どこといって別段にすぐれていることもないけれど、細やかでなよなよとしていて、ちょっとものを言う感じも、なんともいじらしいと、思われるほどでただもう全くかわいらしく見える)
「よろづの嘆き忘れてすこしうちとけゆく気色、いとらうたし(思いがけず不思議なことと思うものの、嘆きの種は皆忘れて少しずつうちとける気持になってゆく様子は、ほんとうにかわいい)
「いとささやかにて、うとましげもなくらうたげなり(とても小さくて、気味わるさもなくかわいらしい感じである)
(①~③「夕顔」、④「帚木」巻)

 ①は、光源氏に偵察を命じられた惟光の視点からの描写で、その姿形について初めて言及された場面である。惟光は垣間見し、その外見の印象であろう。②は光源氏の視点からの描写で、1文に2度も「らうたげ」「らうたし」が用いられている。さらに「あえか」「細やか」とその華奢な姿が描写される。③は、光源氏と夕顔が、なにがしの院に移り、少しずつ打ち解けてゆく夕顔の姿を、光源氏の目線から捉えた描写である。ここでも「らうたし」が用いられている。また、④は、夕顔とかつて関わりをもっていた頭中将の回想の中で述べられた夕顔の印象を「らうたげなり」と形容していることも見逃せない。
 これらの描写には、「死の場面」にも用いられた形容語、あるいはその類義語が含まれている。例示したように、「らうたし」「らうたげなり」の語は生前でも多用されており、「いと」と強調されることが多いことも注目すべきであろう。
 この夕顔の魅力を、言いようもなく素直で、もの柔らかにおっとりしていて、思慮深いとか、しっかりしているというところはあまり感じられない。ひたすら稚(おさな)じみた初々しさと無邪気さが「らうたし」の形容語に込められるのではなかろうか。「ひたぶるに従ふ心」、つまりひたすら、相手の意のままになる夕顔に光源氏は惑溺したのであろう。

 源氏は目の前で、自分の女が死に絶えた経験は初めてで、この夕顔の死にうろたえ、おろおろと泣き悲しむ源氏の姿は、全編の中でも純情でとても好感が持てる。こんな目にあっても、あの密通の恋の報いではないかと脅えるのも若者らしい素直さでもある。
 何の打算もなく、恋に捨て身になれることこそ、青春の特権であり、夕顔との恋はあまりに短く、儚かっただけに、源氏の心に永遠に焼き付いたものと思われる。この「夕顔」巻は怪異性ばかりが強調されて読まれるが、源氏の人生史に顕著な一齣をなす夕顔の物語でもあるのだ。