鑑賞「現代の俳句」 (28)                  沖山志朴

ゆらゆらと熱吐き出して夜のさくら伊藤泰子〔野火〕

[俳壇 2023年 5月号より]
 ともすると、人は昼の豪華絢爛たる桜の花にのみ関心が向きがちである。ところが、掲句の作者は、人が寝静まった深夜の桜の花に、しっかりと目を向ける。そして、昼間のほとぼりを静かに覚ましてゆくその姿を、印象深く擬人化し纏めている。
 桜の花も、大自然の営みの中で、より美しく、よりきらびやかに咲き、よりよい子孫を残そうと懸命なのである。そんなきらびやかな桜の花に、静かに昼の興奮や高ぶりを覚まし、冷静になってゆく深夜の姿があるのだとユニークな視点で捉えている。それを「ゆらゆらと熱吐き出し」と、まるで意思のある生き物ででもあるかのように表現したところが興味深い。「ゆらゆらと」や「さくら」のひらがな表記にも、力を抜いてゆく桜の花を印象付ける効果が窺える。

平和とは普通の暮し茄子漬ける桑田和子〔暁〕

[俳句界 2023年 5月号より]
 テレビのニュース番組では、ロシア軍の砲撃により廃墟と化したウクライナの町の惨状や、悲嘆にくれる市民の表情を大映しにする。地球上の人々が一刻も早い終戦を願い、そして、多くの国々が停戦に向けて、日々努力をしているところである。しかし、事態は一向に進展する気配がない。
 今、私がしているように、茄子を漬けるという、日常のごく当たり前のことが、当たり前にできることが真の幸せ。そんな世界に早く戻ってほしい、と訴える。 

漂着の無人の舟に寒怒濤木村里風子〔楓〕

[俳壇 2023年 5月号より]
 ひところ、日本海沿岸に粗末な造りの小船が相次いで漂着し、物議を醸した。状況から、北朝鮮の漁船で、乗組員の多くは亡くなったものと推測された。作者が目にしたのも北朝鮮のものと思われるこの木造船なのであろう。発見されたときはすでに乗組員の姿はなく、酷寒の日本海の荒波に小船は打ち付けられ、無残な姿を岩礁にさらけ出している。
 打ち上げられた小船に、冬の荒波が打ち付けている情景を写生しただけの句。しかし、そのわずかな描写が、読者の想像を様々に掻き立てる。

藤房に真昼の重さありにけり今橋眞理子〔ホトトギス〕

[俳句 2023年 5月号より]
 風の凪いだ静かな昼下がりの公園での光景であろうか。圧倒されんばかりの見事な藤の花房に心を研ぎ澄ませ、しかと向き合い、その重厚な印象を象徴的に表現した句である。
 今を見ごろの藤の花の色合い、圧倒されんばかりに垂れ下がる見事な形状。「重さ」は花房の丈であり、質感であり、あたり一面に漂う芳香でもある。この花の絢爛たる様子を、さらりと表現した「重さ」の一語の巧みさが光る。

ナイターの点りて空の消えゆける山田佳乃〔円虹〕

[俳句四季 2023年 5月号より]
 歓声のあがる夕暮れの広い野球場、そこに一斉に照明が入る。すると、周囲の光景が見事なまでに一変する。その暗から明へと移る球場の瞬間の感覚の変化を詠った句である。
 多くの人がきっと同じような体験をしていることであろう。フィールドや観客席がライトに照らされて急に明るくなる。すると、今まで確かに存在していた広い空が、まるでマジシャンの手にかかったかのように瞬時に消えてしまう。「空の消えゆける」と捉えた感覚に、並々ならぬ感性の鋭さを感じる。

大阿蘇の風を丸呑み鯉のぼり菅野隆明〔河・火神〕

[俳句界 2023年 5月号より]
 雄大な阿蘇山より吹き下ろしてくる風に泳ぐ鯉幟、その勇姿が、象徴的に描かれている。最短の詩形の中で、壮大な景観を見事なまでに描ききっている。
 阿蘇山からの風を「丸呑み」するという、やや過剰とも思える中七のこの措辞が掲句の眼目である。ともすると、鯉幟の句は類想的になりがちである。しかし、わずかな表現の工夫で、それが斬新な句に生まれ変わるということを教えてくれている。

耕して憩へば土の濃き匂 佐藤さき子〔春耕・あきつ〕

[あきつ 2023年 夏号より]
 一鍬一鍬夢中になって畑を耕している最中は土の匂いには気付かなかった。しかし、畔に休んで一息ついていると、耕した土の匂が盛んに辺り一面に立ち込めていることに気付き、はっとする。農事を愛し、土を愛し、自然を愛する人の句である。
 この「濃き匂」は、単なる土の匂というだけでなく、土地の肥沃さをも象徴しているように思える。そして、それは、作者の心の内で、やがて豊かな実りの予兆へと変わっていったのであろう。

(順不同)