古典に学ぶ (122) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか⑥ 葵上② ─
実川恵子
懐妊中の葵上は気分がすぐれなかったが、女房たちにせがまれ、斎王の御禊の行列の見物に出かけた。そのお供に抜擢された源氏の晴れ姿を一目見たいという思いもあった。一条通りは近郊近在から見物人が押し寄せ、人と車でごった返していた。
その中には目立たぬ女車に乗り、六条御息所も息を潜めていた。つれなく恋しい男の晴れ姿を、都を去る前に一目みておきたかったのである。その折の有様を、「葵」巻、前半部は次のように語っている。
日たけゆきて、儀式もわざとならぬさまにて出でたまへり。隙(ひま)もなう立ちわたりたるに、よそほしうひきつづきて立ちわづらふ。よき女房車(にょうぼうぐるま)多くて、雑(ざふ)々の人なき隙を思ひ定めてみなさし退(の)けさする中に、網代のすこし馴れたるが、下簾(したすだれ)のさまなどよしばめるに、いたうひき入りて、ほのかなる袖口、裳(も)の裾、汗衫(かざみ)など、物の色いときよらにて、ことさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車二つあり。(供人)「これは、さらにさやうにさし退(の)けなどすべき御車にもあらず」と、口強(くちごは)くて手触れさせず。いづ方にも、若き者ども酔(ゑ)ひすぎ立ち騒ぎたるほどのことは、えしたためあへず。おとなおとなしき御前の人々は、「かくな」などいへど、え止(とど)めあへず。
(日が高くなって、外出の支度も格式ばらぬ程度にしてお出かけになった。隙間もなく物見車がずらりと立ち並んでいるので、葵上一行の車は威厳をととのえて列をなしたままで立ち往生している。身分の高い女房車が多いので、その中で雑人たちの付いていない隙間を見つけ、ここにしようときめて、その辺の車を残らずとりのけさせる、とその中に、網代車(あじろぐるま)のま新しくはなくて、下簾(したすだれ)の様子なども高雅な感じであるうえに、乗り手はずっと奥に引き込んでおり、わずかに見える袖口、裳(も)の裾、汗衫(かざみ)などの色合いもさっぱりと美しく、わざと目立たぬようにしている感じのはっきりとわかる車が二両ある。供人が、「これは、けっして、そんなふうに押しのけなどしてよい車ではない。」と強く言いはなって、手をつけさせない。どちらの側にしても、若い連中が酔いすぎて、わいわい騒いでいる時の出来事は、どうにも処置のしようがないのである。年配のお供の人々は、「そんな乱暴はよせ」などと言うが、とても制しきれるものではない。)
葵上一行の車に付き従う供人たちは、左大臣家の権勢にものを言わせて、勢いよく大路の雑踏を押し分け進んでいったが、そこで、やはり見物に来ていた六条御息所の一行とまともにぶっかることになった。この六条御息所という人は、前(さきの)東宮であった夫と死別したあと、年下の源氏とわきまえのない関係になったものの、今は源氏の冷淡な態度を悲観し、折から伊勢の斎宮に任ぜられた娘で、前東宮の忘れ形見である娘と共に都を捨て、伊勢に下ってしまおうかと思案していたのである。しかし、なかなか源氏との仲にあきらめがつかず、今日もかげながら彼の晴れ姿を見ようと、お忍びでやってきて、この一条大路に網代車をとめていたのである。
双方の従者たちの間に争いがおこった。特に葵上側には酒に酔っている者もあり、大変な喧嘩(けんか)になってしまった。御息所の車は散々に乱暴を振るわれたあげく、人垣の後ろに追いやられてしまったのである。
大路の状況や、葵上一行の傍若無人ぶりが活写される。また、若い供人と年配者の動きも見事に描き分けられる。それと対照的に御息所のひっそりとして、目立たぬ描写は、それだけに彼女の心中に渦巻く憤りや悔しさのほどが想像されるような見事な書きぶりである。
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