鑑賞「現代の俳句」 (30)                  沖山志朴

サーファーの波を躱して波に乗る西岡佐和子〔煌星〕

[俳句界 2023年 7月号より]
 北海道から南は沖縄まで、長い海岸線のある日本は数多くのうねりをキャッチできるいわばサーフィン大国。オリンピックの競技種目に取り入れられたことや、比較的身近な場所で楽しめることなどもあって、サーフィンを楽しむ若者たちは近年増え続けているようである。休日など、湘南の海辺などは、サーフボードを抱えた若者たちでまさに大賑わいとなる。
 楽しい波乗りのコツは、小さな波を躱しつつ、サーフィンに適した波を待ち、これといった波を見つけたら、素早くその波に乗り、波の力に合わせながら、自分の体と波とを一体化させること。サーファーたちには、この瞬間がたまらないようである。「波を躱して波に乗る」は、この緊張の一瞬を、リフレインを生かしながらリズミカルに表現している。

土間涼し壁に一本大鋸(お お が)かかり渥美絹代〔白魚火〕

[俳句界 2023年 7月号より]
 保存されている藁葺屋根の古民家の広い土間での光景である。壁に掛かっている大鋸は、板を挽くための大形の鋸である。この一語が、古民家を印象付けている。
 真夏のうだるような暑さの昼下がり。しかし、ここだけは涼気が漂っている。土間の三和土は熱を吸ってくれる、藁葺屋根は、断熱材になっている。さらに実に風通しよくできている家全体の構造・・。先人たちの知恵が結集されている「涼し」なのである。 

忘れたきこと呼び戻す牛蛙味元昭次〔蝶・円錐〕

[俳句 2023年 7月号より]
 牛蛙は、北米原産。大正時代に食用として日本に輸入された。夏の夜など、暗い池沼などで牛が鳴くような声で鳴き続ける。この不気味な太い声が、まるで心の暗部にまで迫るように響いてきては、忘れたい記憶まで呼び覚まそうとしているようだという。鳴き声を象徴する比喩が巧みである。
 夜に口笛のような鳴き声で「ヒョーヒョー」と鳴くトラツグミは、昔の人たちから鵺だといって恐れられた。昔の人たちが、もし夜闇にこの牛蛙の鳴き声を聞いたら、はたして、どんな喩え方をしたであろうか。

三代の老木の梅漬けにけり結城光吉〔春耕〕

[合同句集『かさね』第二集より]
 梅の木は、剪定などの手入れがよければ、ゆうに百年は実を付け続けるといわれる。掲句の梅も父が植えたものを子が、そしてさらに孫へと、こまめに手入れをしながら受け継いできたものであろう。そのお蔭で季節の到来とともに、たくさんの実りをもたらしてくれる。
 漬けるときも、下処理から塩分量、干し方まで、代々受け継いできた手順を守っているのであろう。まさに親から子へ、子から孫へと、梅の味だけではなく、その心を受け継ぎ、繋いできた梅なのである。

進水の楽の聞こゆる袋掛浅井陽子〔鳳 運河〕

[俳句四季 2023年 7月号より]
 小高い丘にある果樹園での作業であろう。港の造船所から進水式のブラスバンドの演奏が聞こえてくる。この船の完成のために、多くの人が汗水流してきたのであろうことや、この進水式を心待ちにしていた多くの人がいるであろうことなど、作者の想像は膨らむ。
 さてさて、我が家のこの袋掛、なかなか大変な作業であるが、秋には豊かな実りをもたらし、多くの人々に喜びを与えてくれる。頑張らねば、とふと我に返る。取り上げた素材は平凡なものながら、リズムがよく、長閑な中に未来への志向が感じられる句である。

泉湧く阿蘇の真砂を踊らせて永田満徳〔火神・秋麗〕

[俳壇 2023年 7月号より]
 阿蘇山の麓に滔々と湧き出る泉を詠ったすがすがしい躍動感のある句である。「阿蘇山の真砂躍らせ泉湧く」と、順接的な配列も考えられるが、作者はあえて倒置法を用い、「泉湧く」を上五に据えている。これにより、句にリズムや勢いが生まれた。
 さらに、「踊らせ」の主語は、「湧く泉」であるが、この擬人法が泉の勢いのよさを印象付けるうえで、鮮烈に作用しているのも見逃せない。

助手席に跳ねる麦藁帽子かな 折勝家鴨〔鷹俳句会〕

[俳句四季 2023年 7月号より]
 メルヘンチックで、どことなく心の和んでくる楽しい句である。舗装されていない道路であろう、凹凸に合わせて助手席に弾んでいる麦藁帽子に向かって、まるで子供に声かけするように、作者が語りかけているような声すら聞こえてくるではないか。
 ともすると、句材が見つからず、無為に時間を費やしてしまうことも少なくない。まるで、掲句は、句材は身近なところにいくらでもあるのですよ、ということを我々に教えてくれているような句でもある。

(順不同)