古典に学ぶ (124) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか⑧ 葵上④ ─
実川恵子
車争いは、六条御息所が忍び妻と正室との地位の差を見せつけられ、弱い女性と貴族の誇りを無惨に傷つけられた事件であった。葵巻後半は、源氏を中心に相戦う女性の恨みの現れとしての生霊の妖しい物語である。
葵上は、出産を前に物の怪に悩まされる日々が多くなった。修験者の祈禱にもかかわらず、女君を一刻も離れない一つの生霊があった。
ある日、源氏は不意にこの物の怪の正体と対面することになる。葵上は、人払いして、源氏に訴えたいことがあると乞うた。次の場面はその鬼気溢れる描写の部分である。
「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへときこえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂はげにあくがるるものになむありける」となつかしげに言ひて、
(物の怪)なげきわび空に乱るるわが魂(たま)を結びとどめよしたがひのつま
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変りたまへり。いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なりけり。あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者ども言ひ出づることと聞きにくく思してのたまひ消(け)つを、目に見す見す、世にはかかることこそはありけれと、うとましうなりぬ。「あな心憂(う)」と思されて、
(源氏)「かくのたまへど誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」
とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。人々近う参るもかたはらいたう思さる。
(「いえ、そういうことではございません。私自身が苦しいものですから、しばらく加持をやめていただきたいと申しあげようと存じまして。こんなふうに参上するつもりはさらにありませぬのに、もの思いをする者の魂は、たしかに身を離れてさまよい出るものでした」と、なつかしそうに言って、
(物の怪)嘆きに嘆いて我が身を離れて宙にさ迷っている私の魂を、どうか下前の褄(つま)を結んでつなぎとめてください、とおっしゃる声、その感じが女君本人とは思われぬほど変わってしまっていらっしゃる。これは不可解な、とあれこれ思い合わせてみると、まさにあの御息所ではないか。あきれはてたことだ。人々があれこれ噂するのを、ろくでもない連中の口にすることだと、聞く耳を持たぬ思いで打ち消していらっしゃったのに、現に目の前に見て、世の中にはこういうことがあったのかと、君は無気味なお気持ちになられる。「ああいやなこと」とお思いになって、「そうおっしゃるけれども誰ということがわからない。はっきりとお言いなされ」とおっしゃると、まったく御息所その人のお姿なので、あきれはてるどころの話ではない。女房どもがおそば近くまいるにつけても君はいたたまれないお気持ちになられる)。
葵上は源氏に可憐な表情を示したが、その声や容姿は、いつの間にか無気味な六条御息所に変わり、一途に恨み言を述べたてた。現実には起こりようのない奇怪な事態に遭遇した源氏は、女の妄執の恐ろしさに怖れ震えるのであった。
一方、御息所もこの場面の挿入歌「なげきわび」の歌は、着物の前を合わせた内側になる下前の部分の「褄」を結ぶと、さまよい出た魂はもとに戻るという信仰があったらしい。『伊勢物語』にもその用例がある。この御息所は無気味でもあるが、哀れでもある。また、葵上かと思える女性につかみかかる夢を見、衣服に沁み込んだ香りが祈禱で焚く護摩(ごま)の芥子の香となっているのに気付く。御衣を着替えてもその香は消えない。それを我が身ながら疎ましく、いよいよ執念が募っていく。
また、源氏も女性の愛憎の激しさに苦しみ、人間の悲しみを深く嘆くのであった。
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