鑑賞「現代の俳句」 (32)                  沖山志朴

朝顔の力をこめてしぼみをり和泉直子〔櫟〕

[俳句四季 2023年 9月号より]
 色鮮やかに咲いた朝顔の花も、わずか数時間で固く縮みきってしまう。もっと人の目を楽しませてくれてもよさそうなものを、と思う。しかし、驚くべきことに朝顔は、自家受粉によって開花する前日には、すでに受粉を終えているのだそうだ。そして、受粉した雌蕊を乾燥から守るため、慌ただしく花そのものは縮んでしまうとのこと。植物の悠久の歴史の中で、いかに効率よく子孫を残すかと進化を重ねてきた結果なのであろう。
 ともすると、俳人たちの目は、鮮やかに咲き競う花にのみ向けられがち。しかし、あえて萎みきった朝顔の花に焦点を当て、ユニークな句にまとめ上げている。中七では、「力をこめて」とその様を擬人法を用いて表現しているが、この措辞も縮みきったその花の特徴を印象付けるうえで、見事なまでに効果を発揮している。

駄菓子屋も子も減り二百十日かな西脇はま子〔天為〕

[俳壇 2023年 9月号より]
 5/4/8音の句またがりの句である。また、「駄菓子屋も子も減り」の表現は、語順が逆になるのではないかとも思う。しかし、声に出してこの句を読んでみると、それが間違いであることに気づく。句またがりでありながら、不思議にリズム感がある。さらに、この措辞にこそ、作者の思いが凝らされていることに気づかされる。
 作者が嘆き、危惧するのは、子供の数が減ってしまったことだけではない。町に活気がなくなったこと、スーパーやコンビニの数がやたらと増えて、町の様相が変わってしまったこと。古き良き時代の人情味あふれる町の風情が消え失せてしまったことをも、併せて危惧しているのである。数十年後、日本の社会はどうなってしまうのであろうか。切実な嘆きが聞こえてくる。 

風死して下町の路地鉄匂ふ仲井亮二〔岬〕

[俳壇 2023年 9月号より]
 去来と凡兆が編集した『猿蓑』に、凡兆の〈市中はもののにほひや夏の月〉という句がある。これに付けたのが芭蕉の〈あつしあつしと門々の声〉。江戸の昔も、人々は夏の暑さには、ほとほとまいっていたようである。しかし、古の句にはどことなく、暑さをしのぐ智恵や、夏の情趣を楽しむ気配すら漂う。
 「風死す」は夏の季語。それまで吹いていた風が止んで、急激に蒸し暑さが襲ってくる現象。小さな工場が並ぶ下町の路地。高い金属音、鉄を裁断する匂い。さらに、オイルのむせかえるような匂い。絶えられないような蒸し暑さ。触覚と嗅覚の句である。近年の異常なまでの暑さを象徴するような句である。

一管の喨と鳴りたる夏越舟大石悦子

[俳句 2023年 9月号より]
 名越の祓は、厄払いをし、心身を清めてお盆を迎えるための神事として、千年以上もの昔から続けられてきた。かつては、12月にも行われていたとのことであるが、現在行われているのは、ほとんど6月のみであるとか。その名越の神事の代表的なのが、俳人の多くが一度は体験したであろう茅の輪くぐり。  
 「夏越舟」は、作者の住まわれていた地域の川で行われる名越の行事の一つなのであろう。横笛を吹いている神官の乗った舟が、こちらへ近づいてくる情景であろうか。「喨」は、音が冴え渡り、遠くにまで響く様子であるが、この措辞が実に効果的である。一管の笛の音から、厳かに進んでくる神事の舟の雰囲気までもが、見事なまでに伝わってくる。
 残念ながら、作者の大石悦子さんは、今年4月に他界された。合掌。

螢火の直線曲線闇深し桑田和子〔暁〕

[俳句 2023年 9月号より]
 掲句で光るのは、中七の「直線曲線」の措辞。この四文字に作者の呻吟の跡がうかがえる。「直線」は、急ぐ水平の光。それに対して、「曲線」は、緩やかに飛翔する恋の蛍であろう。蛍の乱舞する様子をこの四字の対句的な措辞で巧みに表している。
 作者は、蛍の字を常用漢字ではなく、あえて旧字の「螢」を用いているが、これは、情趣を醸し出すための一工夫であろう。「蛍火」は蛍の傍題。類義語に、蛍照、蛍燭、蛍明などがあり、これらの語からは、古の人々の生活の一端を窺い知ることができる。

廃校に子等のこゑ聞く百日紅森加名恵〔百鳥〕

[俳句界 2023年 9月号より]
 「子等のこゑ」は、現実に聞こえてくる子供たちの声ではなく、幻聴としての声なのであろうと推測する。
 かつてはそれなりの産業があり、多くの人々が住んでいた地域。休み時間など、校庭からは賑やかな子供たちの声が聞こえてきたもの。しかし、過疎化が進んだ今、地域の子供たちの数もめっきり減ってしまい、廃校となってしまった。咲き盛る百日紅の傍らで、独り懐旧の念に浸る作者の姿を想像する。

(順不同)