古典に学ぶ (127) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか⑪ 六条御息所の死① ─
                           実川恵子 

 源氏にとって六条御息所は疎ましい人となった。御息所にしても、源氏との関係にきっぱりと見切りをつけ、娘の斎宮と共に伊勢に下ろうとする決意はいまや動かぬものとなった。しかし、物語の作者は、このようにして訣別せざるを得なかった二人のために、愛しく心を通わすことのできた最後の場面を設定している。なかなかいい場面である。
 病を得て、衰弱した御息所は、御身の近くに源氏の御座所をしつらえ、ご自分は脇息に寄りかかってご返事などを申し上げる。久々の再会である。

 いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざしのほどはえ見たてまつらでやと口惜しうて、いみじう泣いたまふ。かくまでも思しとどめたりけるを、女もよろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。
 (それがいたくご衰弱のご様子なので、君は、「これから先も変わらぬ自分の思いのほどをご覧になっていただけずに終わってしまうのか」と残念で、ひどくお泣きになる。「これほどまで思っていてくださったのか」と女も万感胸に迫る思いになられて、斎宮の御事をお頼みになる。)

 この引用文中の注目は、「女」という呼称である。男女関係の強調表現であり、御息所の源氏への感動による文脈とみえる。御息所は、前斎宮のことを源氏に託している。

 「心細くてとまりたまはむを、必ず事にふれて数まへきこえたまへ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、いましばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで見たてまつらむ、とこそ思ひたまへつれ」とても、消え入りつつ泣いたまふ。
 (「心細い有様でこの世にお残りになるでしょうから、きっと何かにつけて人並みにお目をおかけくださいまし。ほかにお世話をお頼みする人とてなく、このうえもなく不幸なお身の上でございまして。生きるかいのない身ながらも、私がいましばらくの間でも平穏に生きながらえているうちは、宮があれこれ物の分別のおつきになるまでお世話してあげようと存じておりましたのに」と仰せになりながらも、息も消え入りつつお泣きになる。)

 それに答えて、源氏は、

 「かかる御事なくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして心の及ばむに従ひては、何ごとも後見(うしろみ)きこえむとなん思うたまふる。さらにうしろめたくな思ひきこえたまひそ」

 (このような御事がなくてさえも、お見捨て申しあげるつもりもございませんのに、ましてお話をうかがいました以上は、心の及ぶかぎり何事もお世話申し上げようと存じます。けっしてお気づかいなさいますな)と申しあげると、御息所は、

 「いと難(かた)きこと。まことにうち頼むべき親などにて見ゆづる人だに、女親にはなれぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ、まして思はし人めかさむにつけても、あじきなき方やうちまじり、人に心もおかれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。うき身をつみはべるにも、女は思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる」
 (それがまことににむずかしいことで。真実、頼りと思うべき父親などにお世話をまかす場合の娘でさえも、女親に別れてしまうのは、じつに不憫なものでございましょう。ましてそのお世話役が御想い人めこうものなら、そのお扱いのうえで情けない事態も起こってきて、ほかの方々からうとんじられることもおありでしょう。いやな気のまわしようですけれども、けっしてそのような好色(き)がましい筋にお考えくださいますな。不幸なわが身を引き合いに考えてみましても、女は思いもよらぬことでもの思いを重ねるものでございますから、どうかこの娘は、そういうことには縁のないものにしておきたいと願っているのです。)

などと申し上げる。