古典に学ぶ (134) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか⑱ 紫の上③ ─
                        実川恵子 

 紫の上は、現世への執着を捨てて出家を願ったが、源氏は紫の上と別れるに忍びず、それを許そうとしなかった。そんな折、紫の上は長年にわたって書写させた法華経千部の供養を思い立った。春3月10日、それは二条院で行われた。「御法」前半部に次のようにある。「三月(やよひ)の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなどもうららかにものおもしろく、仏のおはすなる所のありさま遠からず思ひやられて、ことなる深き心もなき人さへ罪を失ひつべし」(3月10日のことであるから、花の盛りで、空の様子などもうららかに、どことなく風情があって、仏がおわしますとか聞く西方浄土の有様はこれとあまり違うまいと思いやられて、とくに深い信心もない人でも罪障を消すことができるであろう)とある。
 ゆかりの人々が揃って厚意を寄せ、法会は盛大に執り行われた。紫の上は、死期の近いことを感じ、明石の君や花散里と歌を交わし、それとなく別れを告げた。法会に引き続いて不断の読経が途絶えることなく行われたが、紫の上はしだいに衰弱していく。夏の暑さに病状は悪化し、秋に入った夕暮れ、源氏と明石中宮に看取られながら露の命を終えた。悲しく、美しい人の静かな死であった。紫の上と源氏の歌を挿入したこの場面を少し引用したい。

 風すごく吹き出でたる夕暮れに、前栽(せんざい)見たまふとて、脇息(けふそく)によりゐたまへるを、院わたりて見たてまつりたまひて、
(源氏)「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの隙(ひま)あるをもいとうれしと思ひきこえたまへる御気色を見たまふも心苦しく、つひにいかに思し騒がんと思ふに、あはれなれば、
(紫の上)おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは
にぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる。をりさへ忍びがたきを、見出したまひても、
(源氏)ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先だつほど経ずもが
て、御涙を払ひあへたまはず。
(風が荒々しく吹き始めた夕暮れ時に、紫の上が庭の植え込みをご覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、源氏の君がおいでになって見申しあげなさって、「今日は、ほんとうによく起きておいでになるようですね。このお方(明石中宮)の御前では、ご気分もこの上なく晴れ晴れしいようですね。」と申し上げなさる。この程度の気分のよさをさえたいそううれしいと思い申しあげていらっしゃる源氏のお顔色をご覧になるのもつらく、「自分の臨終の時にはどんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみと悲しい気持ちになるので、
(紫の上)萩の上に置く露は、置くと見る間もはかないことで、どうかするとすぐ風に乱れ散ってしまいます。私が起きているとご覧になっても、それはつかの間のことで、すぐに消え果ててしまうことでしょう。
 いかにも、風に折れかえりとどまっていられそうにもない萩の露がご自身に例えられている。そのうえ折が折なのでお気持ちをこらえることがお出来にならず、庭前の風情をご覧になられるにも、
(源氏)どうかすると先を争って消える露にも等しいこの世では、遅れたり先立ったりする間をおかず、いつも一緒でありたいものです。
おっしゃって、払っても払いきれないほどに涙をお流しになる)。

 紫の上の歌は、「萩のうは露」が置くと見る間に、秋風に吹き乱される様子を歌い、儚く消え去ろうとする思いを述べている。また、「おく」に「置く・起く」の掛詞が用いられ、体言止めのほかは、技巧もない。また、「萩のうは露」という表現はあまり例を見ない。作者の造語という見方もある。この歌は、眼前の情景を取り入れた具象性を備えており、とても実感があり、感慨深い。また、迫りくる死の予感を感じさせる歌である。