古典に学ぶ(143) 
   日本最高峰の物語文学『源氏物語』の世界を繙く
─ 「病」と「死」を物語はどう描いたか㉗ 物語の停止① ─
                                                               実川恵子

 横川僧都は女一宮の夜居(よい)の守護に奉仕して宮中に滞在中、明石中宮との世間話のなかで宇治の院で浮舟を発見した時のことを話した。このことが中宮から薫に伝えられて、薫は浮舟の生存を知る。薫はさっそく横川僧都を訪ね、僧都はくわしく浮舟発見以来のことを話した。薫は僧都に小野まで案内して浮舟に会わせてくれるように頼んだ。僧都は僧侶の立場でそれはできないと断りながら、薫のたっての懇願に負け、浮舟への手紙を書いた。それには一度、出家した者が、再び俗人にかえるという、還俗して薫の愛執の罪を晴らしてやるようにという趣旨のことが書いてあった。
 薫はこの手紙を浮舟の弟の小君(こぎみ)に持たせて、自分の手紙と一緒に届けさせたが、浮舟は小君にも会おうとせず、薫の手紙にも返事をしなかった。妹尼をはじめ皆浮舟の強情さを非難したが、浮舟は泣き伏したまま動じなかった。
 物語は泣き伏す浮舟を語ったあと、小君の頼りない報告を聞く薫が誰か浮舟をかくまっているのかと想像をめぐらすところで終わる。この末尾は、

 いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来れば、すさまじく、なかなかなり、と思すことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらむと、わが御心の、思ひ寄らぬ隈なく落としおきたまへりしならひとぞ、本にはべめる。

 (薫は今か今かとお待ちになっていらっしゃるところへ、こうして不確かなことで帰ってきたので、薫はおもしろからぬお気持ちになられて、なまじ使いをやらなければよかったと、あれやこれや気をおまわしになって、「誰かが人目につかぬよう隠し住まわせているのだろうか」と、ご自身が、ありとあらゆる場合をご想像になられたうえで、かつてすてておおきになったご経験から……と、もとの本にございますそうな)とある。いったい、この物語の末尾とは何を語っているのだろうか。
 浮舟は死を決意したとき、薫のためにも匂宮のためにも不祥事を防ぐには、自分の命を捨てるのがよいと考えた。彼らのために浮舟は死のうとしたのだった。
 ところが、薫と匂宮があらわしていたのは、浮舟がそのために死ぬに値しない現実であった。匂宮の情熱は冷めてみれば虚しさしか残らなかったし、浮舟がいなくなれば彼は新しい薫の恋人である小宰相に言い寄った
 薫もまた浮舟と小宰相を比較して、小宰相の方がすぐれていると考えた。薫にとって浮舟はその程度の意味しかなかったのである。大君の「人形」と代替不能のはずの浮舟が、大君や中君にくらべて劣るというのならともかく、一介の女房に比して劣るとされたことは、薫の内部で浮舟が占める固有な意味が薄れていたことを示している。あるいは薫にとって当初から「山里のなぐさめ」(浮舟)とされた浮舟の位相はその程度であったのである。それは浮舟が死ぬに値しない現実であり、そのような現実のために死ぬことはない、あるいは死んではならない。物語は浮舟をこのまま死なせるわけにはいかなかったのである。
 それでは浮舟はどう生きるのか。かつて浮舟を翻弄した現実が再び彼女を取り込もうとするのに対して、浮舟は抵抗する。「世に知らず心強くおはしますこそ」(夢浮橋)と非難されるが、浮舟はかたくなな拒絶によって、あるいは貴族社会に対して自己を違和的存在たらしめることによって自己が自己であるための支えとした。浮舟に救いがあるとすれば、彼女が外界の現実の力に対峙して自己を守りとおそうとしたこと以外にはない。しかし、そこには社会的に開かれていく人生の展望は何ら与えられていない。浮舟はたった一人で、その孤独な抵抗においてすべてを閉ざした。泣き伏す浮舟の姿は現実の重さに抗する姿である。