古典に学ぶ (86) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 桐壺更衣の最後の和歌 ─
実川恵子
輦車(てぐるま)の宣旨を出した後も、なお引き止めようする帝に対し、更衣は突然「女」と呼称される。身分や地位を捨て、一個の女性という立場で、最後の力を振り絞り、日常的な言語ではなく和歌によって自身の生への執着を語る。
「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり いとかく思ひたまへましかば」と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、(中略)(これをこの世の最後として、死出の道へお別れしてゆくことの悲しいにつけても、私の行きたいのは生きる道のほうでございます。ほんとうにこのようなことになろうとかねて存じ寄りましたなら…」と息もたえだえで、申しあげたいことはあるらしい様子で、)
これが唯一の更衣の詠歌である。おそらく更衣の混沌とした思いは、重層的な和歌的技法(掛詞・縁語)によってしか表白(凝縮)しえないものであったのだろう。肯定と否定の相反する内容を、係助詞「は」を用い、行きたくないのは身であり、生きたいのは自身の命であると巧みに表現する。
これに対して帝は、今まで帝という立場を越えて更衣一人を愛そうとしてきたが、この別れにおいてついに一対、つまり「男」にはなれない。まして、更衣の訣別の歌に答えることすらできない。贈答関係は不成立なのである。
死を覚悟した更衣の精神的な強靭さと、逆に帝の狼狽と幼さが際立つ。ここに至って更衣と帝の愛は、この天皇制という掟を越えられなかったことになる。この辺りは、よく言われるように白楽天の「李夫人」の一説が下敷きになっているようだ。
さらに、更衣はこの終の際で帝に何か遺言したかったらしいが、「いとかく思ふ給へましかば」(ほんとうに、このようなことになろうとかねて存じ寄りましたなら…)と、最後が言いさしのようなかたちで終わっているところに注目したいものである。「ましかば…まし」のかたちは、「…であったら…であろうに」の意となり、それ以外何も言えずに絶句したままこの世を去っていった。更衣の発言は、この中途半端な反実仮想の一言だけである。普通なら、「御息所」という呼称を重視すれば、帝との愛の証である遺児源氏のことや将来についてを託すはずであるが、前記した「女」という呼称にこだわれば、あくまでも男女の恋愛を貫いたということになる。すでにことばを発することもできなくなった更衣の無念さが響く。しかし、考えようによっては、あえて更衣は何も語らなかったことが、物語では帝に強い印象を与え、無言で訴えかけた更衣のまなざしの効果は大きい。また、この物語を読む読者たちは、それぞれの想像に思いを馳せていったのであろう。そして一人ひとりに「あなたならどう思う?」と投げかけ、この言いさしのような書ききってしまわない筆法こそ『源氏物語』の凄さであるともいえる。
帝は掟と愛の葛藤のはざまで、諦めと執着のあわいに揺れながらも、遂にタブーを破ってまでも自らの愛を貫こうと思ったのである。そのタブーをぎりぎりの線で破らせなかったのは、つまり帝と更衣の純愛を引き裂いたのは、良き理解者であるはずの更衣の母であった。しかし、母は私情に流されることなく、天皇制に服従して死期迫る更衣を無理やりに退出させたのである。気丈な母の心根も悲しく哀れである。
こうして冷酷非情な桐壺更衣の物語は終焉を迎えた。そこにはかえって確かな真実が浮き彫りにされ、人の心を熱くする叙情が漂っているともいえよう。
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