コラム「はいかい漫遊漫歩」  松谷富彦

第38話 ノーベル物理学賞とイタイイタイ病

素粒子の中のニュートリノの研究成果により2002年に小柴昌俊東大特別栄誉教授、2015年に弟子の梶田隆章東大宇宙線研究所長(教授)がノーベル物理学賞を受賞して一躍名を知られるようになった地下宇宙線観測・実験施設「カミオカンデ」と後継「スーパーカミオカンデ」。名前は研究施設のある岐阜県飛騨市神岡町の「神岡」に由来し、ともに三井金属鉱業神岡鉱業所の亜鉛鉱石採掘坑跡地を利用、地下1キロメートルに設けられた大実験施設だ。

亜鉛鉱石の鉱山だった神岡鉱業所が、鉱石を製錬する過程で神通川に排出していた未処理水中の金属物質カドミウムによって、同川下流域の経産女性を中心に発症した四大公害病「イタイイタイ病」。

地元の萩野昇医師らによる1955年の報告で初めて明らかになったが、当初は、会社だけでなく学者の中にも発症患者の重度の骨軟化症や骨粗しょう症を風土病、低栄養によるとする主張が続いた。13年後、ようやく厚生省(当時)は「イタイイタイ病はカドミウムの慢性中毒により腎臓障害を生じ、骨軟化症となり、発症するもので、慢性中毒の原因物質カドミウムは、神岡鉱業所の排水以外には見当たらない」との見解を発表。その3年後から「公害健康被害補償法」による救済措置が実施されるようになった。

未処理排水を引いた水田のカドミウム汚染米で発症し、イタイイタイ病認定を受けた患者は2015年10月時点で200人。認定されずに「痛い、痛い」と呻きながら死んでいった数は、はるかに多いことを忘れてはならない。

イタイイタイ病発症の元凶の廃坑が、宇宙線観測・実験施設に替り、二人のノーベル物理学賞受賞者を出したことは、大きな罪滅ぼしと喜びたい。

月落ちて地底の太鼓ひびきくる  石牟礼道子(句集『泣きなが原』より)

間違えて地獄にいます老天使    同(同)

 

第39話 ファッション・ランドセル

♪仲よし小道は どこの道 /いつも学校へ みよちゃんと /ランドセルしょって 元気よく /お歌をうたって 通う道(詞 三苫やすし 曲 河村光陽) 4月、ぴかぴかの一年生がランドセルを背負って通学を始めると、ふと口をついて出て来る童謡「仲よし小道」。教職の傍ら童謡を作詩していた三苫やすし(1910-1949)が、39年、童謡雑誌『ズブヌレ雀』に投稿、これがキングレコードの専属作曲家だった河村光陽の目に。すぐ曲を付けて会社に働きかけ、レコード化したところ大ヒット、いまなお歌い継がれる国民的童謡になった。

戦中戦後の混乱期を潜り抜け、日本の小学生の定番用品となったランドセルは、5万~7万円台のカラフルな製品が売れる時代に。少子化の皮肉な効果だが、対象児童の減少はランドセル業界にとっては頭の痛い問題。そんなとき思いがけない“救世主 ”が飛び出した。アメリカの女優、歌手で作曲、編曲もこなす才女、ズーイー・デシャネルが、ザック代りに赤いランドセルを愛用している画像が2014年春、インターネットを通じて広がり、若い女性のファッションとして注目されるようになったのだ。さらに “爆買い ”中国人観光客に火が付き、「子供の通学用に」と免税店に殺到する騒ぎにもなっている。

ランドセルと言えば、“ランドセル俳人 ”小林凜君が、初句集『ランドセル俳人の五・七・五』に続き14年秋、自句をタイトルにした第二句集『冬の薔薇 立ち向かうこと恐れずに』(ブックマン社刊)を出した。〈 いじめられ行きたし行けぬ春の雨 〉と11歳で不登校の自分を詠んだ凜君も中学生になり、〈 亡き祖父へ葉書届きぬ秋の風 〉〈 羽化したる天道虫や我に似て 〉(でも、今の僕はもう弱くはありません。)〈 ラブレター師の手に渡す落椿 〉(登校時に拾った椿の花をA先生の手に渡しました。)と確実に思春期の道を歩んでいる。