コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(92)つけし人ら今亡し梅雨のティアラ展 眉村 卓
SF人気作家、眉村卓が、がん闘病中だった愛妻に聞かせるために毎日1話ずつ約5年に渡って書き続けたショートショート『妻に捧げた1778話』(新潮新書 初版04年刊)が、書店で平積みの“第2次ブーム ”になっている。きっかけはテレビ朝日の番組「アメトーク」でタレントのカズレーザーが「15年ぶりに泣かされた本」と絶賛紹介したのが“炎上 ”、18年4月現在で18刷を数える騒ぎに。表紙裏の惹句を引く。
〈 余命は1年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をする。しかし、夫はその言葉通り、毎日1篇のお話を書き続けた。5年間頑張った(高校時代の同学年生だった)妻が亡くなった日、最後の原稿の最後の行に夫は書いた――「また一緒に暮らしましょう」〉と。
新書は1778篇から19篇を選び、妻の闘病生活を含む40余年にわたる結婚生活を振り返るエッセイを加えた〈 風変わりな愛妻物語〉仕立て。
さて、本話の本題は、眉村が愛妻、悦子を亡くしてから7年後、俳人、齋藤慎爾の勧めで彼が社主を務める深夜叢書社から刊行した掲題句を含める259句収載の初句集『霧を行く』。眉村は高校生のころから俳句を始め、サラリーマン生活の後、作家になってから毎日新聞の記者だった俳人、赤尾兜子の知遇を得て、赤尾が主宰の「渦」に投句をするなど断続的に作句を続けていた。
妻の没後、詠み溜めた句を自費出版するつもりで纏めているのを知った斎藤が商業出版を引き受け、同社刊行物として出版された。眉村の前衛的俳句に惚れ込んでの刊行で、斎藤が自ら句集の帯文に次のように記している。
〈 日本SF史上に不滅の金字塔を樹立した泉鏡花文学賞作家は、高校時代から半世紀に亘り俳句界を疾走してきた前衛俳人でもある。生と死をめぐる象徴的、神秘的、幻想的、夢幻的、そして根源的な情念の表白の結晶、ここに成る。〉
そして次の句を抜粋、紹介している。
木犀の香の闇ふかし別れ来て
灯の中に鬼灯夢も暗からむ
亡妻佇つ桜もつとも濃きところ
冬麗や切絵のごとき姫路城
短歌や俳句に造詣の深い京都大学大学院教授(2017年定年退官)で言語学者の東郷雄二は、自身のウエブサイトで眉村の句集『霧を行く』を取り上げ、〈 私が眉村の句を読んで強く感じるのは濃密な物語性である。あとがきで眉村は、SFの本質はセンス・オブ・ワンダーであるとの説に触れ、「SF的感覚を援用して言えば、私の俳句とは、時空の集約が感じられるものでありたい」と述べている。俳句の王道は二物衝撃だが、二物の出会いによる衝撃に止まらず、宇宙をクルミの大きさに閉じこめるように、時空が圧縮されたような感覚をめざすということだろう。その圧縮された時空間に物語が匂い立つのは、ショート・ショートという得意ジャンルを持つSF作家の故にちがいない。〉と書き、次の5句を挙げる。
氷菓出て転職依頼ためらひつ
獄塔出て異郷の蜂がつきまとふ
風花や女がくだる螺旋階
ぶらんこがどこかで軋み濠の昼
終着駅近しまだ在る冬の虹
最後に妻を亡くした直後の眉村の詠句ー
過去追ひて眼鏡に障子歪みをり
(文中敬称略)
(93)艦載機グラマンに機銃掃射された夏の日
平成30年8月15日は73回目の終戦記念日。コラム子の怖ろしくも奇妙な体験を書く。昭和20年が明け、2年生の3学期に編入した疎開先(岐阜県)の国民学校は、尋常高等科もある大きな学校だったが、間もなく校舎の半分が兵舎に変わり、兵隊との同居生活になった。授業時間が少しずつ削られて、その分、栄養源確保のイナゴ獲りの時間が増えていった。「イナゴ3匹で玉子1個の栄養がある」と先生に言われ、懸命に獲ったのを思い出す。
3年生になって2か月ほどすると、田舎町にも頻繁に敵機襲来のサイレンが鳴り響き、晴れた日は点在する鎮守の杜での分散授業に。小学生の私も戦争の逼迫を肌で感じ始めていたそのころ、子供心にも「殺される!」と覚悟した出来事に遭遇した。
鎮守の社の授業を終え、炎天下の藪川(根尾川下流の呼び名)の堤防道を独りで歩いていると、警戒警報のサイレンが空襲警報に変わった。身を隠す木陰もない場所から早く集落に辿り着こうと小走りに急ぐ私の背後からプロベラ音が近づき、機銃掃射の音とともに前方の河原に土煙が走った。
思わず顔を上げると、藪川の川面沿いに艦載機のグラマンが超低空で飛び過ぎるところで、数機の編隊の1機だった。機銃掃射は、一人歩いている子供をびっくりさせ、からかうためだったのだろう。ダダダダッという掃射音と線状に走る土煙に立ちすくみながら、そのとき私は風防ガラス越しに敵機のパイロットがこちらを見ながら笑ったのがはっきりと分かった。
あの瞬間、もし若いパイロットが「ジャップの餓鬼の1匹、帰り掛けの駄賃に撃ち殺したろか」と銃口を向け、引き金を引いていたら…。ちょっとした気まぐれで殺される命、生かされる命の儚さをしみじみと考えさせられる遠い日の記憶だ。その日から2か月後、大人たちに混じって昭和天皇の「耐えがたきを耐え」の玉音放送を聞き、私は生きて終戦を迎えたのだった。
玉音の途切れ途切れや蝉時雨富彦
雷鳴を雷鳴と聞く平和かな 同
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