コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(94)詩人金子光晴の遭遇した関東大震災(上)
関東大震災から95年を数える。この震災に出合い、世相の混乱ぶりを記憶にとどめている人々は、すでに世を去った。そんな中で昨年、小池百合子都知事が前年まで自身を含めて歴代知事が震災発生日の9月1日に東京都慰霊堂(東京都墨田区)で開催される「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に行ってきた追悼文送付を取りやめたことが大きなニュースになった。
「朝鮮人虐殺6千人は、誇大で虚偽の数字」とする派は、知事の判断を多とすると評価、これに対して「虐殺の事実から目を背けるもの」とする人々は、民族差別の風潮にのった変心と厳しく批判したことは、記憶に新しい。震災時の体験者不在の議論からは、風化の虚しさ、怖さを改めて感じさせられた。
未曾有の大震災に丸ビルで開催中の「世界名陶器展」会場で遭遇した28歳の若き詩人、金子光晴は45年後の昭和40年9月1日刊行の『絶望の精神史』(光文社刊)で書く。
〈 正午に近い時刻である。(名陶を)吸いつけられるように見入っていた人たちは、その一瞬、中風の前ぶれのめまいに似た、中心の失われたよろめきとともに、精神のアンバランスに襲われて、顔から血の気のひいてゆくのをおぼえた。同時に、飾り棚のなかの、陳列された、値のつけようもない天下の稀品の、グレコロマンの玻璃瓶や、ペルシャの壺や、唐の三彩の陶磁器が、見ている前で、ころころところがり、おどりながら棚から落ちて、たわいもなく割れてゆくのだった。〉
〈 地震による被害よりも、つづいて起こった火災の被害が大きく、山の手からみると、ちょうど日本橋あたりの方角に、無気味な朱いろの大竜巻が立ったまま、二昼夜のあいだ、じっとうごかなかった。
浅草辺りから、本所、深川にかけて、火は低く這いまわり、人の走る方向に活路をもとめて走る老若男女は、熱気にあおられ、持ちものを捨て、衣服を剥ぎ、心身が恍惚となって、路ばたにくずおれるときは、もはや、ふたたび立つことがない。松の切株のように、赤剝けになって重なりあっている死体がある。肥大して、男女もわからず、焦げただれ、、手足をふんばっている死体もある。〉
〈 この焼けふすぼりのなかから、焼けない金目のものを探しまわったり、屍の指を切り落として、金指輪の金を袋にあつめあるいたりするものもでてきた。また、永代橋から東京湾へ、水にのがれるつもりで倒れた屍が、累々と浮かんだが、その屍を食ってふとったといわれる、みごとな車えびが、びっくりするほど安値で、被害をまぬかれた山の手の魚屋の店先にならんだ。〉
焼跡にまた住みふりて震災忌中村辰之丞
(95)詩人金子光晴の遭遇した関東大震災(下)
関東大震災をリアルタイムで体験した詩人金子光晴は、『絶望の精神史』で〈 この災害によって、何かが大きくこわれた。その何かをはっきりさせることが、重大なことなのだ。〉と朝鮮人虐殺の実相に触れて書く。
〈 無秩序混乱の幾十時間の間に、大正人のきれいなうわっつらがひんめくられ、昔ながらの日本人が、先方から待っていたとばかりに、のさばり出てきた。〉
〈 流言蜚語が、どこからか伝わってくると、一も二もなく、それを信じて、また振りまき、「多摩川から朝鮮人暴徒が大挙襲撃してくる。」とか「朝鮮人が井戸に毒を投げこんで歩いている。」とか「社会主義者が蜂起した。」とかきくたびに、事の実体を考慮する余裕のある者はなく、青竹をそいで先を火であぶった竹槍をもったり、腰に日本刀をさしたりして、交代で町を警戒した。往来の者を誰何し、髪の毛のながい若者は社会主義者、言葉づかいのはっきりしないものは鮮人ときめつけ、どどいつやさのさ節をうたわせてためしたりした。〉
〈 日ごろ、あいそのいい小心者の理髪店の主人が、目を血走らせ、性格一変して言葉づかいも暴慢に指図しまわったり、女髪結いの亭主が、急に狂人じみてきて「ぶんなぐれ、殺せ。」などと、矯激なことを口走ったりするのだった。流言を取り締まるビラを出しながら、巡査までが常軌を失って、「朝鮮人は目黒あたりまで来てあばれている。しっかりやれ。」などと激励していた。砂村で3人、竹槍で刺してきたと、英雄気どりでふれて通る、土建屋ふうの男もいた。〉
詩人自身の体験も書いているので、引く。
〈 おどおどして逃げ回るようにしている1人の青白いインテリ青年を、ともかく安全なところへ連れてゆくことを引き受けて、僕らが、2人で歩いていたときである。橋のたもとからいきなり五十かっこうの和服の男が棍棒をもって現われ、「社会主義者だな。きさまのような奴がいるから、いかんのだ。」と叫んでなぐりかかってきた。明治の日本人の熱病が再発したのだ。〉
〈 流言の出所は、軍だという風説も飛んだが、そんなことぐらいはやりかねない卑劣な性格のものに、軍そのものも堕落しつつあった。どさくさのあいだに、甘糟大尉が、無政府主義者の大杉栄夫妻とその甥の三人を虐殺する事件があった。冷静にかえったインテリばかりでなく、一般庶民も、この事件に対する批判がきびしく、…しかたがなく軍は、大尉を満州に送って、お茶をにごした。〉
大震災を身をもって体験した詩人の証言を「遺書」として考えたい。
電線のからみし足や震災忌京極杞陽
穂芒や地震に裂けたる山の腹寺田寅彦
震災忌向あうて蕎麦啜りけり久保田万太郎
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