コラム「はいかい漫遊漫歩」  松谷富彦

(110)虚子が可とした俳句、否とした俳句

 

 先月号に続いて『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(筑紫磐井編著 深夜叢書社刊)の内容を紹介する。

 先に〈 虚子は俳句の評価を花鳥諷詠や客観写生で行っていない。俳句らしい思想と措辞をもっているかで決定する。〉という編者、筑紫の指摘を引いたが、筑紫はこの基準で虚子が推奨した戦後俳句20句を拾い、同書で例示している。

妻病めり秋風門を開く音                                 秋櫻子                                                            
きちきちといはねばとべぬあはれなり風生
夕涼しちらりと妻のまるはだか草城
飴なめて流離悴むこともなし楸邨
葛咲くや嬬恋村の字いくつ波郷
鶏走る早さや汗の老婆行く草田男
獄の門出て北風に背を押さる不死男
鉢巻が日本の帽子麦熟れたり三鬼
徐々に徐々に月下の俘虜として進む静塔
子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま登四郎
夕日沖へ海女の乳房に虻唸り欣一
子も手うつ冬夜北ぐにの魚とる歌太穂
人を責めて来し冬帽を卓におくさかえ
友ら護岸の岩汲む午前スターリン死す鬼房
雪の水車ごつとんことりもう止むか林火
秋嶽ののびきはまりてとどまれり龍太
夜々おそく戻りて今宵雛あらぬ民郎
冬日向跛あゆめり羽搏つごと康治
朝雉子や吾は芥をすてゝゐし綾子
風邪ごゑを常臥すよりも憐れまる節子

「俳句らしい思想」と「措辞」は虚子が作品を評価するに当っての 基準だが、〈 ここでは季題があるかないかは基準となっていない。〉と筑紫は指摘する。なぜか。続けて筑紫の文を引く。

 〈 (虚子にとって季題は)俳句の基準ではなく、虚子における俳句の絶対前提だからである。従って季題のない俳句(?)は「俳句」ではなく「十七字詩」と呼ぶべきであるという主張も一貫している。(中略)にもかかわらず、不思議なことに「十七字詩」には「俳句」と同様の評価基準が適用されると(虚子は)考えている。「(〈十七字詩〉も「俳句」も)面白味は同じ文字が齎らすのだから同じでなければならぬ」(第五十回研究座談会)と述べている。〉

 この4回前の第46回研究座談会(篠原鳳作の句。石橋辰之助の句/無季論)でも虚子の評価基準はぶれていない。

しんしんと肺碧きまで海のたび鳳作

虚子 面白いと思ひます。俳句ではないですね。十七字詩ですね。若しくは十七音詩といってもいゝ。

虚子  [十七字詩というものが俳句に対するものとして独立の価値が出て行くか(研究会・深見けん二)]出来て行くと思いますね。詰まらないが、

祇王寺の留守の扉や推せば開く虚子

は俳句ではないが十七字詩である、と考える。これは季を入れる余地がなかったのだ。]

虚子 例句の伴はない新季語は未だ季語として認めるわけにはいかぬ。いゝ句の出来てゐる新季語はどしどし採用すべきである。歳時記は常に多少とも異変しつゝある。(敬称略 次話に続く)

(111)虚子の戦後俳句鑑賞の肉声記録(1)

 

 紙幅の関係で、『虚子は戦後俳句をどう読んだか』のサブタイトル[埋もれていた「玉藻」研究座談会]の“虚子の肉声記録”のさわりのさわりを同書から抜き出し、紹介する。

 [第46回研究座談会]

蝶墜ちて大音響の結氷期富沢赤黄男

虚子 「結氷期」といふのはどういふんですか。

虚子 [こういうのは説明できたらつまらないということです(深見けん二)]面白い処があるんじゃないかといふ気もするね。

虚子 [草田男の句は季がある(星野立子)]草田男は理屈っぽい。『蝶墜ちて』は理屈がなくていゝね。

[第60回研究座談会]

時のかなた昇天すもの日のはじめ飯田蛇笏

虚子 叙法が不賛成だ。

虚子 昔から蛇笏一流の雄勁ならんとする句はあった。でも分からぬ句ではなかった。

虚子 作者は信ずる処があるのであらうが、我々には分からない。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり蛇笏

虚子 まづいゝ。

をりとりてはらりとおもきすすきかな蛇笏

虚子 これはいい。心持ちが素直に出てゐる。

世の不安冬ふむ音のマンホール蛇笏

虚子 『ふむ音のマンホール』は面白い。『冬』は季語としてやむを得ず持ってきたのでせうがまづい。もっと適当な季語を詮議すべきだ。『世の不安』の世はいらないでせう。

虚子 [表現を単純化した方がよい訳か(けん二)]さうですね。穏やかにする方法がありさうなものですね。

虚子 本筋からそれたやうな句が多いと思ふ。悪くいふと気取ってゐますね。

(次号に続く)