コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
「いかに美しく消耗するか」の覚悟で詠む(上)
平成時代が31年をもって幕を閉じた。この時代を回顧する本が次々に登場することだろう。その先陣を切り、予め定められた時代の区切りにタイミングを合わせて刊行されたのが、『俳句の水脈を求めて―平成に逝った俳人たち』(角谷昌子著 角川書店刊)。
〈 昭和を生き、平成に逝った26俳人の作品と境涯。彼らはどのように俳句と向き合い、何を俳句に託したか。そのひたむきで多様な生と、魂の表現としての俳句の水脈を探る。〉と帯文が謳う同書に登場の女性俳人は、飯島晴子、野沢節子、桂信子、中村苑子、細見綾子、津田清子、鈴木真砂女の7名。
この中から生涯を「いかに美しく消耗するか」の覚悟で俳句を詠み続けた細見綾子の境涯を自らも俳人として同時代を生きて来た著者、角谷昌子の簡潔な記述を引きながら、辿ってみる。
角谷は、綾子の章に[天然自然の柔軟性]のタイトルを付し、〈 中村草田男の向日的な句風を、塚本邦雄や楠本健吉らは「能天気」と評した。綾子の第一句集の口誦性豊かな《うすものを着て雲の行くたのしさよ》《チューリップ喜びだけをもってゐる》《つばめつばめ泥が好きなる燕かな》を私は愛誦しながら、どこか同じような印象を抱いていた。だが作品を読み込み、境涯を知って、草田男の場合と同様に、綾子俳句を「能天気」とみる思いは払拭された。〉と書き起す。「能天気」に似て非なる綾子の「独自の詩心」に気付いたと言うのだ。
綾子の20代は、過酷な青春に包み込まれる。現在の兵庫県丹波市青垣町の富裕な農家の長女として生まれた。〈 吉屋信子のような小説家になりたいと母を説得 〉し、日本女子大に進んだ綾子は、20歳で卒業。すぐに東大医学部の助手、太田庄一と結婚。だが、2年の結婚生活で夫は病没、実家に戻った綾子を待っていたのは、母の死と兄弟の事業の失敗による実家の差し押さえ、そして自身も肋膜炎を発症して病臥の身に。
俳句を始めたのは22歳で、松瀬青々の「倦鳥」に初入選し、同年投句の〈 来てみればほゝけちらして猫柳 〉が巻頭を取る。角谷の記述を引く。
〈 綾子は当時を振り返って、青々は「生きる魅力と涙」をよく知っている人物であり、師の「俳句の甘美」がなかったら、自分は俳句を作っていなかったと断言する。すべてのものが「空虚」かつ「蕭条」としてぽっかり虚無の口を開けている。そんななか、青々俳句の優しさは命を吹き込む泉の水だった。〉
綾子が終生の伴侶、句作の同士となる沢木欣一と初めて会ったのは昭和17年、欣一はまだ東大の学生だった。綾子は紅葉の名所、箕面に欣一ら3人の大学生を案内する。〈 そのとき、学生たちは近いうちに戦地へ赴かねばならず、それまでいかに生きればよいか話し合っていた。〉と角谷は書く。(敬称略 次話に続く)
「いかに美しく消耗するか」の覚悟で詠む(下)
著者、角谷昌子の記述を続ける。〈 綾子は慰める言葉をもたず、ひたすら散りゆく紅葉を見つめながら、「いかに美しく消耗するか、そのことだけではありませんの」と言った。この言葉は欣一に衝撃を与え、心からずっと離れなかったようだ。〉欣一は東京に戻ると、〈もし自分が死処を得るなら、あのような「清冽な世界」に入りたいと綾子に手紙を送った。〈 紅葉谿で2人の魂は触れ合った。その鮮烈な出会いは、大戦から無事帰還した12歳も年下の欣一と、年齢差を乗り越えて結ばれる運命的な邂逅でもあったのだ。〉と角谷。
欣一は結婚のいきさつを小説『踏切』に書き、そのなかで、人生を「美しく浪費させる」ことが綾子の言葉だとしている。角谷は、欣一が綾子の言葉を「消耗」ではなく「浪費」に変えたことに注目する。「消耗」は建設的でなく退廃的だが、すさまじい覚悟があるように思え、「浪費」には美意識や心の余裕も感じられる、と言う。
〈 欣一自身、「夏炉冬扇」の俳句に人生を賭けることが命がけの遊びであり、「浪費」と捉えたからだろうか。一方、綾子は、無常観を突き抜けて、生きる喜びを率直に俳句にしてゆく。命尽きるまでの自然な「消耗」こそ、綾子の本望ではなかったか〉と角谷は踏み込む。そして、第二句集『冬薔薇』に搭載の箕面の吟行句〈 紅葉焚けば煙這ひゆく水の上 〉には、煙の末路への一切放下の眼差しがあると書く。
昭和20年、無事帰還した欣一は、帰途、丹波の綾子を訪ねる。綾子は再会の喜びを〈 帰り來し命美し秋日の中 〉と素直に詠んだ。翌年、欣一は金沢で「風」を創刊、綾子は同人に。そして次の年、40歳の綾子は一回り下の欣一と結婚。綾子は随筆「雪嶺」に、金沢へは「何一つ身を飾らず。たゞ一人で、トランクを下げて出た」と書く。『冬薔薇』収載の〈 鶏頭を三尺離れもの思ふ 〉は前年の作だが、〈 生命の塊のような鶏頭を《三尺》を保って見つめるうち、心の拠り所とする勁さを得た。…綾子には感情に支配されない、強靭な精神力があると思える。その客観性は、《三尺》の距離に表れているのではないか。当時の句に《くれなゐの色を見てゐる寒さかな》がある。距離を保って対象を凝視する作者の立ち位置まで感じられる。優しく穏やかだが、心棒のぶれない生き方が、その後の綾子俳句にも表れているようだ。〉と角谷は記す。
綾子句を3句記す。
寒卵二つ置きたり相寄らず
女身仏に春剥落のつづきをり
蝶蜂も死にて花野の終る時
綾子90歳で逝去。(敬称略)
- 2024年11月●通巻544号
- 2024年10月●通巻543号
- 2024年9月●通巻542号
- 2024年8月●通巻541号
- 2024年7月●通巻540号
- 2024年6月●通巻539号
- 2024年5月●通巻538号
- 2024年4月●通巻537号
- 2024年3月●通巻536号
- 2024年2月●通巻535号
- 2024年1月●通巻534号
- 2023年12月●通巻533号
- 2023年11月●通巻532号
- 2023年10月●通巻531号
- 2023年9月●通巻530号
- 2023年8月●通巻529号
- 2023年7月●通巻528号
- 2023年6月●通巻527号
- 2023年5月●通巻526号
- 2023年4月●通巻525号
- 2023年3月●通巻524号
- 2023年2月●通巻523号
- 2023年1月●通巻522号
- 2022年12月●通巻521号