コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(122)夭逝の自由律俳人、住宅顕信(3)
先月号に続き、自由律俳句結社「海市」の句友で、住宅顕信(すみたく・けんしん)の没後、亡友の悲願の句集『未完成』を彌生書房の商業出版に漕ぎつけた池畑秀一の回想を『住宅顕信全俳句全実像―夜が淋しくて誰かが笑いはじめた』のあとがきから引く。
顕信から電話をもらい、池畑が岡山市民病院を訪ね、入院中の顕信に初めて会ったのは、昭和61年(1986)8月。永の別れとなるわずか半年前のことだった。前話にも触れたが、当時、岡山大学の准教授(数学)だった池畑は、『層雲』に入門したばかりで、顕信は年下だが句歴は2年先輩だった。放哉、山頭火の存在を知る程度だった年上の池畑に自由律俳句について滔々と語る病人、顕信。
〈 彼の話は新鮮で魅力的だった。〉と池畑は書く。〈 それからほぼ二週に一度の割合で病室を訪れ、二人で俳句の世界に浸った。彼の俳句に対する態度はすさまじいもので、私はその気魄にいつも圧倒された。尾崎放哉に心酔しており、放哉全集は一冊はボロボロにしてしまい二冊目を使っていた。一句一句を心をこめて大事に作っていた。全国の俳友からの便りをテーブルに並べて説明してくれた時の顕信の嬉しそうな表情を忘れることが出来ない。…僅か半年の交際だったが、彼は私の心に多くのものを残していった。〉
句友池畑の熱意と彌生書房の英断で、顕信悲願の句集『未完成』は、亡くなって僅か1年後の昭和63年(1988)に全281句を収めて刊行。この句集によって、俳人顕信の句が知られるようになる。平成14年(2002)にはフランスの著名出版社ガリマール書店から日本俳句のアンソロジー『Haiku:Anthologie du poeme court Japonais』が出版された。内訳は松尾芭蕉から現代俳句まで507句を搭載。自由律俳句では種田山頭19句、尾崎放哉13句、そして謙信が9句選ばれている。
池畑はアンソロジー出版当時の“ちょっといい”エピソードを記す。〈 高校三年生(註・平成15年1月当時)になった顕信の遺児、春樹君がフランス語の辞書を片手に、父の作品がどのように翻訳されているかを調べている姿を見て、顕信もほほえましく思っているに違いない。〉と。
そして、没後15年を経た平成14年に「顕信全集」とも言うべき池畑監修の『住宅顕信全句集全実像』(小学館刊)が、顕信句〈 夜が淋しくて誰かが笑いはじめた 〉のサブタイトル付きで出版され、顕信俳句の全貌とその人となりが、 広く知られることになった。(敬称略 次話に続く)
(123)夭逝の自由律俳人、住宅顕信(4)
顕信に係わる「奇跡の連鎖」をもう一つ記す。精神科医の香山リカは、俳句とまったく切り離したところで、旅や放浪する俳人には少しだけ関心があった。山頭火や放哉が郷里や家庭を捨て、困窮しながら日本のあちこちを放浪して一生を送った生き方に興味を持ったが、二人の作った俳句は二の次だった。
そんな香山がたまたま開いた雑誌の書評欄。『現代俳句〈上〉名句と秀句のすべて』川名大著(ちくま学芸文庫)の書評の数行の文字に目が止まる。
顕信句集『未完成』が世に出てから14年後の平成14年(2002)に香山が出版した『いつかまた会える―顕信:人生を駆け抜けた詩人』(中央公論社刊)から引く。
〈 「この『現代俳句・上』には、尾崎放哉、種田山頭火といった漂白の俳人のことが非常にわかりやすくまとめられている」と書かれているのを見て、「じゃ,買ってみようか」と思ったというわけだ。 〉
本を買った香山は、放哉、山頭火に係わる「自由律俳句の系譜」の章を開いた。「自由律俳句の歴史」の叙述の一番最後に「昭和の終わりに、『層雲』の夭折俳人・住宅顕信が句集『未完成』に珠玉の句を遺したことを、特記しておきたい。」とたった2行の説明と謙信の二つの句がぽつんと置かれていた。その内の1句〈 鬼とは私のことか豆がまかれる 〉が香山の胸に突き刺さった。
ここから精神科医、香山の顕信取材が始まる。亡き句友の悲願の句集『未完成』の刊行を果たした池畑秀一ら俳句関係者、顕信の家族への体当たり取材で、香山は『いつかまた会える』を書き上げる。やはり26歳で夭折したシンガーソングライター尾崎豊と通底する若者心理を重ねた精神科医ならではの好著だ。香山自身、顕信の1歳上、尾崎豊の4歳上の同世代。ふたたび同書から引く。
〈(顕信が)俳句とはいってもなぜ最初から「五・七・五」の定型ではなくて自由律に向ったのかは、謎のままである。考えてみれば、とても不思議なことだ。顕信の一生がどうなるかをすでに知っている私たちには、彼が自己表現の手段として自由律俳句を選んだのは正解中の正解、だとわかっている。顕信がもし「まず十年くらいは定型俳句をじっくり勉強して…」といったプランを立てていたら、すべては間に合わず、私たちはこうして今、彼の作品を目にすることもなかっただろう。〉この選択も「奇跡の連鎖」の賜物と言えないか。
平成5年(1993)2月、岡山市内を流れる旭川の畔で顕信句碑の除幕式が行われた。次の句が刻まれている。
水滴のひとつひとつが笑っている顔だ
(敬称略)
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