コラム「はいかい漫遊漫歩」      松谷富彦

「消息を絶った女流俳人」(上) 

 俳人として評価を得始めながら、いずれも10年ほどの作句活動に自ら幕を引き、忽然と消息を絶った2人の女流俳人、藤木清子と鈴木しづ子。

 藤木清子は、昭和6年(1931)に代表句〈瀧の上に水現れて落ちにけり〉がある後藤夜半主宰の『蘆火』に藤木水南女の名で投句を始める。『蘆火』の廃刊で同10年からは日野草城の『旗艦』、『京大俳句』などに投句を続け、翌年から『旗艦』同人になった。この年、ともに投句していた夫、藤木北青が亡くなり、歯科医の兄の元に身を寄せ、名前を水南女から清子に変える。

 〈夫かなし野鳥鳴く音にさへ怯え〉〈不楽(さぶ)し妻春荒びたる部屋がある〉などの句。病身だった北青との夫婦仲は、あまりよくなかったようだ。

 昭和12年、同人の片山桃史が出征。日中戦争が始まり、高まる軍靴の響きの中で清子が『旗艦』に寄せた詠句から8句を引く。

こめかみを機関車くろく突きぬける

ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ

戦争と女はべつでありたくなし

戦死せり三十二枚の歯をそろへ

寄食しておしろいを濃く塗ってゐる(兄宅の居候としてか。)

縁談をことはる畳なめらかに

春ふかし肉親の情あらあらし(再婚を強制されていたか。)

戦死者の寡婦にあらざるはさびし

 太平洋戦争開戦の昭和16年、〈文学は遠し油虫に這ひ寄られ〉の句を残し、清子は俳句仲間の前から姿を消し、消息を絶った。新興俳句の女流俳人の草分けながら、句集もなく忘れ去られようとしている清子俳句を惜しみ、『旗艦』全号から詠句を抽出した宇多喜代子の努力で平成24(2012)、『ひとときの光芒 藤木清子全句集』(宇多喜代子編著 沖積舎刊)が世に出た。

   宇多は同書で〈俳句を作る女性そのものが珍しい時代、ことに新興俳句の俳誌にはほとんど女性の名が無い時代。新興俳句の女流として最初に名をあげられる人、新興俳句作品史に最初に作品をとどめた人。それが藤木清子〉と書く。

  清子より4年遅れて『旗艦』に投句を始め、翌年同人になったのが桂信子。清子はどんな女性だったのか、信子から聞いた話を宇多の文章から引く。

〈桂信子は新婚の頃、阪神間の御影に住んでいて、このころの藤木清子に幾度か会っており、その人物像をよく聞かせてもらった。ふってりしたおばさんタイプだったと。〉宇多が新聞に書いた記事を見た〈井上白文地門で『京大俳句』へ投句する一学生だった〉と言う人から宇多に届いた手紙も〈神生彩史さん(註:『旗艦』同人)と藤木清子さんと3人で神戸の街を歩いた思い出があります。夏の暑い日、藤木さんは和服。少々太り気味の方のせいかしきりに汗をふいておられ、白いパラソルをくるくるまわしながら彩史さんと楽し気に話しておられました。〉とあったと宇多は同書で紹介している。(文中敬称略)

消息を絶った女流俳人」(下)

 『春雷』と『指輪』の2句集を残して消息を絶った鈴木しづ子は、大正8年(1919)、東京生まれ。昭和15~16年(1940~1941)ごろ、製図工として勤めていた会社の社内サークルの俳句部に入る。句会の指導をしていたのが、俳句結社『樹海』の主宰、松村巨湫。しづ子にとっては、運命的な師との出会いだった。俳誌『樹海』に投句を始めたしづ子を、巨湫は懇切に指導。これに応えてしづ子も次々と投句を続けた。

 大学入試に失敗して製図工になったしづ子は、俳句を知って5年後の昭和21年、巨湫の強い後押しで句集『春雷』を出すチャンスに恵まれる。〈春さむく掌もていたはる頬のこけ〉〈ゆかた来てならびゆく背の母をこゆ〉〈夫ならぬひとによりそふ青嵐〉、「八月十五日皇軍つひに降る」の前書付きで〈炎天の葉智慧灼けり壕に佇つ〉といった句が並ぶ。句集としては破格の5000部を売る。

 だが、この直後からしづ子の人生は激変。『樹海』への投句も〈ダンサーになろうか凍夜の駅間歩く〉〈まぐはひのしずかなるあめ居とりまく〉〈黒人と踊る手さきやさくら散る〉〈夏みかん酢つぱしいまさら純潔など〉 と激情をぶつけた生々しいものになって行った。

 “娼婦俳人”のスキャンダラスな称号とストレートな性愛表現詠句で俳句世界の一つの社会現象となったしづ子。戦後の混乱期に彗星のように登場した美貌の俳女には、〈♪こんな女に誰がした〉のイメージが付き纏った。

 昭和27年(1952)3月30日、東京駿河台下の神田倶楽部で開かれた第2句集『指環』の出版記念会で、促がされて謝辞を述べたしづ子は「それでは皆さん、ごきげんよう。そして、さようなら」の言葉を残す。これが師巨湫にとっても女弟子の姿を見た最後となる。師宛ての郵送投句は続いたが、それも同年9月15日付けで止まり、杳として消息の掴めぬまま60余年が経つ。

文中の句は『春雷』『指環』合本の句集『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(河出書房新社刊)から、エピソードは同書中の解説「鈴木しづ子というひと」(正津勉)から引いた。

娼婦またよきか熟れたる柿食うぶしづ子