コラム「はいかい漫遊漫歩」          松谷富彦

(160)25音の長大な季語の話

 亀や蚯蚓を鳴かせ、寓話めいた「暖鳥(温鳥)」の季語で一句仕立てる。ダーウィンもびっくりだが、これぞ俳諧。

 平成29年度蛇笏賞を第五句集『羽羽(はは)』で受賞した正木ゆう子さん。受賞の感想を「3・11の後、それ以前のようには俳句が詠めなくなった。季語が入らなかったり破調だったり。伝わらなくてもいいとさえ思った。それが評価され、驚いたけれどうれしかった」(2017年6月28日付け朝日新聞夕刊)と語ったが、季語への関心は、元々大いにお持ちの俳人なのだ。 

 正木さんの『ゆうき(遊季)りんりん 私の俳句作法』(春秋社刊)から引く。

Ⅰ章 俳句の生まれる瞬間]〈 歳時記を眺めていたら、25音もある季語を見つけた。これは使ってみなければ、というので、「童貞聖マリア無原罪の御孕(おんやどり)の祝日(いわいび)と歳時記に」。これが私の一番長い句。31音もあるが、俳句である。長年俳句をやっていると、たまには俳句で遊びたい。カタカナばかりのも作った。「ヒヤシンススイスステルススケルトン」。これはおまけに尻取りである。〉

Ⅱ章 ハイカイのために――文語と口語、私の場合]には、こんな愉快な口語俳句も。〈 揚雲雀空のまん中ここよここよ 〉〈 魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも 〉〈 そこちょっと直したきうぐひすのこゑ

  どうやらこの蛇笏賞俳人、ときには膝を崩して笑い転げる楽しい人のようだ。研究熱心で大歳時記を繙いているとき、25音もある長大な季語に出合ったのだろうか。それとも遊び心から「プレバト!!」の夏井いつきさんの『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)を眺めていて見つけたのかも知れない。なにせこの長い長い季語が夏井季語辞典に載っているのだ。冬季の項に下記の通り。

童貞聖マリア無原罪の御孕の祝日  12月8日、カトリックの祭日。「聖胎節」の副題    『大歳時記』によると「1854年、ピオ九世が『処女マリアが母の胎内に宿った最初の瞬間において、原罪のすべての汚れから前もって保護されていた』と宣言したことに始まる」とある。消極的仏教徒(盆と葬式ぐらいしか手を合わさない)としては、だからナニ、としか言いようがないが、それにしてもこりゃ、ほんとに季語なのか!当然のことながら例句のあろうはずもなく、ボーゼンとするしかない。童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日日和とはなれり 夏井いつき 〉と夏井さんの解説。

  両女流俳人の二句以外に例句が見つからないので、コラム子の拙句を最後に。

童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日や鶏冠(とさか)ぶらぶら七面鳥 富彦                                                                                                 

(161)ほうづきや可愛がられてえぐらるゝ   本荘幽蘭

  江戸川乱歩の『少年探偵団シリーズ』に登場の怪人二十面相に劣らぬ多彩な顔で明治、大正、昭和の3時代を駆け抜けた “妖婦 ”本荘幽蘭女史の話。                             種本は江刺昭子・安藤礼二編著『この女を見よ――本荘本荘幽蘭と隠された近代日本』(ぷねうま舎刊)と安藤礼二著『折口信夫』(講談社刊)。

 妖婦、幽蘭(本名、久代)、あるときは秋風路頭に道を説く救世軍中尉、新聞社の婦人記者、ミルクホールの女主人、身を翻し泰西劇の女優、女活弁、張扇叩いて講釈師、時流を語る講演家、娼婦志願の吉原娼家めぐり、剃髪して尼に、かと思えば大本教の出口王仁三郎に対面。筆も立ち、俳句をひねり、短歌も詠む。

 娼婦志願の折は「幽蘭女史吉原角海老に身売りす」の新聞記事に仰天した明治女学校時代の先輩、相馬黒光女史。当時、新宿に中村屋開店の準備中だったが、開店資金で吉原から後輩を救出しようとする。ところが当の幽蘭、理路整然とした言葉遣いから廃娼運動の回し者と疑われ、どの店からも門前払い。

 吉原騒ぎは明治40年のことだが、そのころ国学院大生だった後の民俗学者、歌人の折口信夫(釈超空)と幽蘭は、教派神道の神風会で親しくしていた時期があった。幽蘭が8歳年上。女嫌い、同性愛者として知られる折口だが、「折口さんの古事記の講義ね、教壇に上がるといきなり“女陰(ほと)”と言ってね、黒板に“火処(ほと)”って書く。それから“人間の体の中で一ばあん、あったかいところですう”と言って、それっきり」と慶応大生だったころの授業のエピソードを詩人の故鈴木亨さんがしていたと、折口の唯一の女弟子、穂積生萩さんが『私の折口信夫』(講談社刊)で記している。

   折口は、幽蘭に強烈な体験をさせられ、同性愛に逃避、それを古事記講義の中で問わず語りに話したのではないか。コラム子の勝手な想像である。掲題句から、契った男は80有余人を豪語する幽蘭の句意が生々しく伝わってくる。

   で、街でばったり出会ったら、どんな容貌、容姿、雰囲気の女性だったのか。手がかりになる文章を『この女を見よ』冒頭の「絵になる女」から引く。大正から昭和前期にジャーナリスト、漫画家、社会評論家などとして働き、戦後、樋口一葉記念館、下町博物館などの建設に尽力した小生夢坊(こいけ・むぼう)が大正4年に雑誌『第三帝国』に寄せた一文である。

 〈幽蘭という女は芝居役者か小説家か不良少女か知らんけれど、新しい享楽主義の権化だということは一見して分かった。チョッと見ただけでも、くっきりと白く露われた胸元の皮膚から、その下にふくらんだ乳房を想像することができる。…肉の女、白粉の顔、細い首、後れ毛、…肉と霊の聖画〉