コラム「はいかい漫遊漫歩」       松谷富彦
172)鬼平が愛した軍鶏鍋屋「五鉄」

 池波正太郎の江戸時代小説シリーズ『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』には、食い物屋と江戸の食べ物が数多く登場する。美食家と言われた作家ならではの筆さばきに、読者は唾を呑み込むことになる。

「鬼平犯科帳」全24巻の中でもっとも多く出て来るのが、〈 本所二ッ目の軍鶏なべ屋〔五鉄〕〉。初登場は、第1巻第2話「本所・桜屋敷」で、鬼平こと火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が、着流しの浪人姿で市中を見回り中、20数年ぶりに再会した無頼時代の遊び仲間、相模の彦十を誘う場面。小説から引く。

〈「て、て、銕さんじゃ、ごぜえやせんかえ?」「おう。よく見おぼえていてくれたな」…すがりつかんばかりの彦十、めっきり老いていた。…「…おなつかしいなあ、まったく…」彦十は、まさか〔本所の銕〕が火付盗賊改方の頭領さまになっているとは気がつかない。二ッ目橋の〔五鉄〕という軍鶏なべ屋へ入って熱い酒を飲ませると、平蔵が何を問うたわけでもないのに、油紙へ火がついたように、ぺらぺらとしゃべりはじめた。〉

 五鉄の軍鶏鍋のレシピは、犯科帳第8巻第3話「明神の治郎吉」から引く。

 〈(五鉄の亭主)三次郎は、先ず、鯉の塩焼を出した。鯉の洗いとか味噌煮とかいうけれども、実は、塩焼がいちばんうまい。…治郎吉は、舌つづみをうち、「あんまりのむと、こんなうめえものが腹へ入りません。ですからすこしずつ…」と、なめるように、ゆっくりと酒をのんだ。つぎに、軍鶏の臓物の鍋が出た。新鮮な臓物を、初夏のころから出まわる新牛蒡のササガキといっしょに、出汁で煮ながら食べる。熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった。「うう…こいつはどうも、たまらなく、もったいない」次郎吉、大よろこびであった。〉

 五鉄は、作家、池波正太郎が足を運んだ両国の実在の店「かど家」(東京墨田区緑一丁目)がモデルの一つ。創業が文久2年(1862)で160年近い暖簾を誇る八丁味噌仕立ての軍鶏鍋が看板の老舗だ。初代が尾張名古屋の出だったことから、八丁味噌仕立ての鍋で売り出し、江戸っ子の評判に。

  出し汁にたっぷり八丁味噌を溶き、鶏皮、レバー、ハツ、砂肝を煮込んだところで、焼き豆腐や野菜とともにモモ、胸肉を煮ながら食べる。味噌の色が濃いが、意外にあっさりした味が美食家、池波正太郎を虜にした。

鋤焼や笹も日高の熊の肉木津柳芽

大根が一番うまし牡丹鍋右城暮石

ひとりごちひとり荒べる鮟鱇鍋森 澄雄

二階より素足降り来る桜鍋鈴木鷹夫

173)消えゆく古季語、生活季語を守る努力

  宇多喜代子さんが俳句誌『俳句』に連載した俳句随想集『俳句と歩く』(角川書店刊)を読む。傘寿をすぎても衰えぬ取材意欲、博識、社会的視線が、のびやかな文章から立ち昇る。その第二話「蚕のおしっこ」の書き出しを長いが引く。

〈…、京都で開催された国民文化祭で、次の句が京都府知事賞を受けた。 大原志赤子はじめて雲に会ふ山内利男

 季語は《大原志》で、「おばらざし」と読む。この句が読み上げられた時、会場が一瞬ざわっとしたのは、「大原志って何だ」という声だったのだろう。

 大原志は、京都府福知山市の大原神社の養蚕祈願の祭礼。かつては陰暦3月23日の春志(はるざし・現在は5月3日)と、9月23日の秋志(あきざし)の年に2回の祭が行われていたのだが、養蚕が衰退した現在、秋志は行われなくなった。養蚕祈願と同じく、古くから安産祈願で知られており、山内氏の句もこの祭事にかかわる。養蚕も安産も、ともに万物生産の祭神にあやかっての祈願である。〉〈 この神社には、蚕を飼育している人たちの間で、春志のときに境内の小石を持ち帰って蚕棚に置き、秋志にこれを返納するというマジナイ的祈願がある。この石を猫と呼び、蚕の大敵である鼠除けの御守としていたそうだ。
春志の石を鳴らして戻りけり茨木和生 〉

 引用の末尾の作句者、茨木和生さん(運河主宰)は、忘れられていく古季語、地方季語、生活季語を掘り起し、詠句の中で蘇らせる実践者として知られる俳人。茨木さんの弟子の一人、井上綾子さんの句集『綾子』(ふらんす堂刊)のタイトルは、著者名に掛けてはあるが、初宮参りの赤子の額に紅で魔除けの印をつける風習の夏の古季語「綾子(あやつこ)」である。それを踏まえた搭載句を左に。

綾子の朱色に汗の光かな井上綾子

粥占や今年荒るるとひとりごち

春袋飴玉入れてくれにけり

泥落し糊のききたるシャツを着て

雨祝ざんざ降りにはならずとも

 「粥占(かゆうら)」「春袋(はるぶくろ)」「泥落し」「雨祝(あめいわい)」消えゆく季語が句集に踊る。ちなみに「粥占」は小正月に粥を用いて一年の吉凶を占う行事。   「春袋」は初春に女児が縫う袋のこと。袋いっぱいに幸せを詰めたいという願いが込められている。「泥落し」は「早苗饗(さなぶり)」と同じ意味を持つ。「雨祝い」は雨で1日田畑の仕事を休むこと。