コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(178)ある程の伊達し尽して紙子かな 斯波園女
寛文4年(1664)、伊勢山田の神官、秦師貞の娘として生まれた園女(そのめ)は、医師の斯波渭川(初号一有)と結婚。俳人でもあった夫、渭川の影響で俳句を始め、芭蕉が伊勢を訪れた貞享5年(1688)に夫婦で弟子入りし、本格的に活動をスタートさせた。この年、年号が元禄に改元、2年後の元禄3年、園女は夫とともに伊勢から大坂に移住する。
同じころ、後に蕉門に名を残す野沢凡兆、羽紅夫婦が、京都に滞在中だった芭蕉に蕉風俳句の指導を受け、師を自宅に招くなど師弟親炙の間柄になっていた。一方、渭川、園女夫婦が芭蕉を自宅に招いて歌仙を巻いたのは、3年ほど後の元禄7年9月27日。ちなみに芭蕉は、訪問から半月も経たない10月12日に大坂で客死しているから、斯波宅での連句興行が最後の歌仙になる。
園女夫婦は、師を山海の珍味でもてなしたが、後にこれをうがって「芭蕉の死因は、このときの茸の食べ過ぎが原因」との臆説が生まれる。だが、もし茸中毒なら2週間後の死はあり得ない。このことについては、後でもう一度触れる。
斯波宅でのこの日の連句の発句は、芭蕉が詠んだ。
白菊の眼に立(たて)て見る塵もなし芭蕉
紅葉に水をながす朝月園女
冷〳〵と鯛の片身を折わげて諷竹
何にもせずに年暮行渭川
小襖に左右の銘は煤びたり支考
みやこをちつて国々の足袋惟然
芭蕉の詠んだ巻頭句は〈 眼前の白菊を園女にたとえて、園女の清楚な人柄をたたえたのである。園女はこの時の感激を忘れ難く、後年上梓した自分の処女撰集の書名を『菊の塵』と命名している。この時の茸の多食が芭蕉の死因であるという説は、まったくの臆説に過ぎない。〉と蕉門紹介の自著『芭蕉の裾野を歩く』(渓声出版)で芭蕉研究家、中里富美雄氏は書く。
俳人で江戸俳諧考証家の故加藤郁乎氏も著書『俳諧志』(岩波書店)の「斯波園女」の項で記す。〈 園女亭の招宴での茸の可食が死因となったなどと『花屋日記』にあるのは誤伝俗説らしい。志田義秀氏も指摘されたごとく大阪の水に当ったというのが真実であろう。もし、さようの事実懸念があれば『菊の塵』に一言あってしかるべきと思われるが、園女は自序に全くふれていない。〉と。
医者のかたわら前句附の点者だった渭川と園女は、仲むつまじい夫婦だった。
〈 鼻紙の間にしほるゝすみれかな 園女 〉は吉野へのおしどり旅行中の吟。
後家となった園女は、蕉門の其角の伝手で江戸深川に居を構え、亡夫伝授の眼科医の業に励みながら俳句を詠む。享保3年に剃髪し智鏡尼に。享年63歳。
園女の俳諧撰集『住吉物語』(元禄8年板行)に収められた芭蕉追悼吟を1句。
寒さうな笠さへみればなみだかな園女
(179)俳句を取るか小説を取るか
『暢気眼鏡』や『虫のいろいろ』など数多くの私小説作品を残した文化勲章作家、尾崎一雄が逝って39年が経つ。戦後期、『聖ヨハネ病院にて』などの “病妻”もので知られる上林暁と人気を二分する私小説(心境小説)作家であり、こちらは年若い妻、松枝との日々を描いた“芳兵衛もの”で読者を集めた。
16歳のとき、志賀直哉の小説『大津順吉』に感動、作家を一生の仕事にしようと決めた尾崎は、早稲田高等学院から早稲田大学に進んだころ、志賀の親戚筋という同級生を介して師事することになったが、窪田空穂の影響も受け、短歌、そして俳句作りにも一時期熱を入れたと告白している。
「俳句の楽しみ」のタイトルで新聞に寄稿した随筆で〈 …ある棋士があるとき私に向かって「碁打ちになったため、僕はこの世の大きなたのしみをうしなひました」と述懐したことがある。
私の場合、このことは、そっくり俳句にあてはめることができる。50年ぐらい前、私も俳句や短歌に熱を上げた一時期があった。が、小説を書いていかうと肚を決めると共に、俳句や短歌に深入りせぬ用心をした。自分の菲才を思へば、死生をかけるのは小説一つで澤山、ほかは何ごとによらずアマチュア愛好家に終始すべきだ、と考へた。そして、それを押し通した。…〉(「朝日新聞」昭和45年9月20日付け)と書く。
だが先生、この一文の最後に〈 實は最近、上林暁、木山捷平などと合著で句集『群島』(山王書房)を出した。和装の豪華本である。〉とさり気なくPRを。
木枯や母乳張りてゐる幼な妻 一雄
障子貼る女片袖くはへつつ同
梅白し単線の駅汽車発す同
木枯の橋を渡れば他国かな 同
秋風の吹きぬけてゆく四畳半暁
南瓜食ふ男となりて足立たず同
梨の花これより淡きものなからん同
白萩のうねりやさしき枕もと同
見るだけの妻となりたる五月かな捷平
去年かけし帽子そのままにして夏に入る同
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