コラム「はいかい漫遊漫歩」   松谷富彦  

(190)イトーロジョーホコーハーモニカ…

   掲題を漢字、かな表記すると〈伊藤路上歩行ハーモニカ入費増加報告屁特等席地価騰貴…〉と続き、〈…兵糧欠乏孟子と孔子世評良好だ数十丈効果甘え甘えな〉で終る経文、呪文、回文ならぬ怪文をご存知?

 音読すると何やら落語の寿限無寿限無貝砂利水魚…にも似た音調、言葉の羅列。「知ってるよ!」と答えた人は無線技士免許取得者か、終戦時に国民学校(小学校)在学の少国民世代だろう。掲題と冒頭の羅列単語は、モールス符号(トン・ツー―)を暗記するための合調法(合調語)、つまり語呂合わせを「いろは」順に繋いだものだ。

  コラム子の終戦直前時点の学校体験を書く。

  岐阜県西部の田舎町に疎開していた筆者は、国民学校の小学3年生だった。校舎の3分の1が突如兵舎として接収され、慌しい雰囲気の中で、これもある日突然、唐突に大判の模造紙に墨書された〈イトー(・―) ロジョーホコー(・―・―) ハーモニカ(―・・・)…〉をクラス全員が大声で音読する授業が始まった。ちなみに「・」は短打音、「―」は長打音を示す。

  小学3年生の少国民は、国語読本を音読するのが苦手の子も仮名書きの意味不明な文字の一斉朗読にたちまち乗り、1週間もしないうちに全員が暗記してしまい、休み時間になるとてんでにに“門前の小僧”となって読経較べに熱中しだした。先生から「無線通信の大切なモールス符号だ」とだけ説明されたが、電鍵実習もないまま、間もなく疎開地から10キロほど離れた県都岐阜市がB29の空襲で壊滅、廣島、長崎への原爆投下の混乱の中〈イトーロジョーホコー〉は、あっという間に忘れ去られた。

  あれから77年、「あれは何だったのか」。追い詰められた軍の国民総動員令の一端の指令だったのか、と呪文が口の端に浮かぶたびに思っていた筆者は、ついに回答を手に入れた。

  日本医事新報(No.4581 2012.2.11.)所載の安岡孝一京都大学教授の一文から引く。〈 日本において合調法が最も流行したのは、太平洋戦争末期である。少年団(当時の文部省がボーイスカウトを再編した組織)で行われていたモールス符号の演習が国民学校での軍事教練の一部となったからである。ただ、モールス符号の演習とは言っても、実際に電鍵を握るわけでもなく、もっぱら合調音を一斉に唱えるだけのものであった。〉

  筆者の体験も全くその通りだった。敗戦間際の軍は、子供を戦いに動員するアフリカ、中東のテロ組織と変らぬ狂気に追い込まれていたことを改めて知る。

  遺品あり岩波文庫「阿部一族」鈴木六林男

(191)敵性語って知ってますか?

「妖怪的四弦」、この言葉を「おぞましくも懐かしい」と思い出せるのは、80歳以上の年齢層か。それでは「金属製曲尺八(きんぞくせいまがりしゃくはち)」「抜差曲金真鍮喇叭(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)」は?

 正体は、用語として浸透する前に太平洋戦争が敗戦で終結したため、儚くも消えていった“西洋 ”楽器の置き換え和名で、「妖怪」はコントラバス、「曲尺八」はサクソフォン、「抜差喇叭」はトロンボーン。戦前から使われていた「提琴(バイオリン)」「洋琴(ピアノ)」「風琴(オルガン)」「手風琴(アコーデオン)」となると、知っている人は多いだろう。

 戦中に話を戻すが、「この一戦何がなんでもやりぬくぞ」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」「進め一億火の玉だ」などのスローガンが叫ばれる中から派生したのが、敵性語・敵性名排斥キャンペーンだった。当時の政府が法令に基づいて改名させたと言うより、その意向を忖度し、先取りした“大衆ヒステリー”の産物だったが、言い替えに異を唱えることは許されなかった。

 白系ロシア亡命者でジャイアンツいや巨人軍などで活躍した300勝投手のヴィクトル・スタルヒンは「須田博」、歌手のディック・ミネは「三根耕一」、会社名も後楽園スタジアムが「後楽園運動場」、ポリドールが「大東亜蓄音機」、煙草の名前もゴールデンバットが「金鵄」、雑誌もサンデー毎日が「週刊毎日」、キンダーブックが「ミクニノコドモ」に。山なら日本アルプスが「中部山岳」、アナウンサーは「放送員」。ラグビーは「闘球」、アメフトは「鎧球」に法的根拠のないままに改名、呼称させられた。

 学校名も例外ではなかった。多くはミッション・スクールだったが、フェリス和英女学校(横浜山手女学院・現フェリス女学院大学)、プール学院高等女学校(聖泉高等女学校・現プール学院大学)、カタカナ名でなかった東洋英和女学校も米英の敵性を憚って東洋永和女学校(現東洋英和女学院大学)に改名。

  終戦後、元の校名に戻った学校が多かったが、変更名を継承している学校もある。ウェルミナ女学院は戦中に大阪女学院高等女学校と名を変えたが、戻さず大阪女学院大学、パルモア女子英学院は啓明女学院としたが、戦後名を戻さず共学の啓明学院中学・高等学校となっている。

  日本は米英だけでなく、中国も敵に回し戦っていたが、中国語由来の和名については翼賛団体からの敵性語呼ばわりはなく、逆に英単語の置き換えに漢語式表記が多用され、推奨された。

  敵性語・敵性名の排斥、忌避は、米英でも皆無だったわけではない。例えば英国。第1次世界大戦中に交戦国ドイツの関連を憚り当時の国王ジョージ5世が出自の王室名サクス=コバーグ=ゴーダ家を王宮ウインザー城にちなんでウインザー家と改称、今日に至っていることが知られている。

  戦後でも隣国の韓国が、半島全域を指す朝鮮を国名に採らなかったのは、敵対する北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の先行国名との競合を避けたと言われる。

 最後に俳句を1句。昭和8年に星野立子が詠んだ〈 娘等のうかうかあそびソーダ水 〉は、敵性語排斥に従ったら〈 娘等のうかうかあそび噴出水 〉、思わず吹き出す句になっただろう。敵性呼ばわり、ヘイトスピーチは狂気のシグナル。