コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(82)蕉翁句、氷の僧か籠りの僧か
東大寺二月堂(奈良)の修二会(3月1日―14日)にちなんで書く。二月堂で行われる修二会の「お水取り」は、若狭(福井)から二月堂脇の良弁杉の根方に遠敷(おにゅう)明神を勧請、、大松明を持った十一人の練行衆(僧侶)が、明神の閼伽井屋(あかいや)の若狭井から香水を汲み、堂内に運ぶ儀式。
芭蕉は、貞享元年(1684)8月から翌年4月にかけて門人の苗村千里を伴い、前年亡くなった母の墓参を目的に江戸を発ち、伊勢、古里の伊賀上野を経て大和、大垣、名古屋そして伊賀で越年後、京都、大坂、熱田、木曽、甲斐を巡って江戸に戻った。その折の道中吟四十五句に前書、詞書を添えた芭蕉の最初の俳諧紀行文が『野ざらし紀行』。出立句〈 野ざらしを心に風のしむ身かな 〉から付けられた紀行名だが、縁起が悪いと門人たちが憚り、出発が甲子だったことから『甲子吟行』とも呼ぶようになったのは、知られている。
本題に入る。古里で越年した芭蕉は翌年3月(陰暦2月)、奈良の東大寺に立ち寄り、お水取りの法行を見物する。『野ざらし紀行』十一章に「二月堂にお籠りをして」の前書とともに登場するのが、下の句。
水取りや氷の僧の沓の音
ところが二月堂下にある芭蕉句碑には、〈水取りやこもりの僧の沓の音 〉と彫られている。由緒ある二月堂の芭蕉句碑が?と俳人、俳句に詳しい人なら誰もが首を傾げる場面だ。『街道をゆく』を執筆中だった司馬遼太郎も句集との違いに気づいた一人だった。俳句総合誌『俳句界』編集長の林誠司さんが作家、嵐山光三郎さんの話として自身のブログで紹介しているエピソードを孫引きする。
〈以前、司馬遼太郎氏から筒井長老(註:東大寺の重職の僧)へ電話があった。司馬氏は『街道をゆく』を執筆中で、芭蕉の「水とりや…」の句は、最近の諸本では「こもりの僧」が「氷の僧」になっているが、どちらが正しいか、との質問だった。
二月堂下にある古い句碑には「こもりの僧」となっているので、筒井長老は「こもりの僧」をとる、と答えた。しかしその後気になって調べてみると、古板本には「氷の僧」とあるのを、京都の蝶夢が「こもりの僧」と書き変えてしまったことがわかった。筒井長老は、このことを宗報「華厳」に発表した。〉
筒井長老が〈 氷の僧 〉と確認した古板本は、元禄九年(1696)門弟たちの手で板行の『甲子吟行』と『芭蕉庵小文庫』。出典の『甲子吟行』は芭蕉の真筆に依ると言われている。コラム子は、芭蕉が平仮名でなく漢字で〈氷の僧〉と記していること、甲子吟行の旅から二年後の『笈の小文』の紀行で海風吹きさらす天津縄手から保美へ向かう道中吟に〈 冬の日や馬上に氷る影法師 〉が詠まれていることからも、〈 氷の僧 〉は揺るがないと考える。
二月堂の句碑に刻まれた句は、芭蕉没後百年目に蕉風復活に尽力した俳人で僧侶の五升庵蝶夢によって編まれた『芭蕉翁絵詞伝』から採句したものであり、芭蕉の高度の俳語センスが理解できず、散文的に分かりやすい〈こも(籠り)の僧〉としたのではないか。あの司馬遼太郎すら小説家感覚で「句碑の句の方が好き」と言っていたと嵐山ブログ。俳句は「読む」力も求められる。
(83)あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ 三好達治
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
三好達治(1900―1964年)の詩集『測量船』(1930年)中の「雪」の二行詩である。この詩集と『駱駝の瘤にまたがって』(1952年)の二詩集を代表作に、短歌、随筆、翻訳、作詞の分野と幅広く活躍した詩人の心地よいリフレインの短詩をだれもが一度は耳にし、口ずさんだ記憶があるはず。
三高時代に丸山薫の影響で詩作を始め、東大では梶井基次郎や中谷孝雄らの同人誌『青空』に参加。後に萩原朔太郎と詩誌『詩と詩論』を創刊。三十歳で発表の処女詩集『測量船』は抒情的な作風が高く評価され、九年後刊行の詩集『春の岬』は、空前の二十万部を超えるベストセラーに。五十三歳で日本芸術院賞受賞、日本芸術院会員となったが、財には無頓着、間借り生活の中で逝った。
達治には、俳人としての隠れた顔があった。俳句を始めたのは詩作より早く、中学時代に『ホトトギス』を購読、独学で作句に没頭、二十歳ころ句作ノートは千句を超えた。俳人を名乗ることはなかったが、伝統的な歌の調べや抒情性が詩に活かされている。『測量船』の中の散文詩「落葉やんで」には、八句の俳句を挿入。結核を病む親友、梶井基次郎との手紙の遣り取りを詠う散文詩から二句。
一つのみ時雨に赤き石榴かな
海の藍石榴日に日に割るるのみ
喀血をコップに入れて「ワインだ」と達治に見せた基次郎。詩集『南窗集』の中で達治は鎮魂の詩「友を喪ふ」に
柿うるる夜は夜もすがら水車
街角の風を売るなり風車
の句を配す。
達治に師事した俳人、石原八束は、編纂に携わった『定本三好達治全詩集』(筑摩書房刊)に「路上」「春秋」など詩中の百句を「路上百句」、句集用に集めていた五十句を「柿の花」の名で所収。
吉川幸次郎との共著『新唐詩選』を持つ達治が、荘子の「胡蝶の夢」を句材に詠んだ句を記す。
荘周の夢山を越ゆ秋の蝶
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