コラム「はいかい漫遊漫歩」  松谷富彦

(86)霧笛の夜こころの馬を放してしまう   金子皆子

 「海程」創刊同人、山中葛子による掲題句の句解から入る。〈 『花恋』(註:第4句集)の「白い花白い秋」の章に収められているこの句は、診察治療を受けるために海辺の街に滞在する皆子の部屋の濃密な静けさと繋がってくる。…千葉県旭市のホテルサンモールの5階へエレベーターで昇るその部屋には二つの窓があり、たいていは片方にカーテンが降ろされ深海のごとくに仄暗く、霧笛が聞こえてくる。日常をはなれた一人だけの創作意欲のわきあがる部屋であった。「草原のなかに全身を投じたい」の皆子の言葉があざやかによみがえる。「こころの馬」とは天然のままを生きる野生の馬であろうか。霧笛と馬の嘶きが溶けあう解放感がとげられたファンタジックな作品である。〉(現代俳句協会ホームページ「現代俳句コラム」平成25年4月21日記より)

 平成30年2月20日、98歳で逝った金子兜太の糟糠の妻であり、俳句の同志だった皆子(本名、みな子)は、兜太と同じ秩父生まれ。トラック島で海軍主計大尉として敗戦を迎え、一年余り捕虜生活を送って復員、日銀に復職した兜太と昭和22年春、結婚。兜太28歳、皆子22歳。将来を約束された東大経済学部卒のエリート行員との結婚生活の門出のはずだった。

  だが、夫の兜太は先輩、上司の説得を振り切って従業員組合代表、さらに組合専従の事務局長を引き受けたことから、支店勤務の窓際族、最後に本店に戻ったが、自称“窓奥族 ”閑職の金庫番で定年を迎える“冷や飯サラリーマン人生 ”のスタートだった。

  兜太は、結婚した年に沢木欣一が金沢で創刊した「風」に参加、出世コースから外れると組合と俳句に傾斜し、福島支店を皮切りに神戸支店、長崎支店と長いドサ回り生活に入る。子育てをしながら転勤生活を支えていた皆子は、夫の勧めで結婚から6年後「風」に投句を始める。

  投句開始の二年後に「風賞」受賞。兜太が昭和37年に「海程」を創刊すると同人になり、結社の発行事務一切を担当。俳人としても海程賞、現代俳句協会賞、『花恋』では「第1回日本詩歌句大賞」を受賞している。

 72歳で第二句集『黒猫』を上梓した平成9年、皆子は1年前に発症した右腎悪性腫瘍のため右腎を全摘、10年に渡る闘病生活を続ける。黒猫3句。

わが黒猫百日紅の花にもなれる

七夕が来て黒猫の老い呆け

冬の夜の黒猫菜の花の匂い

                          (文中敬称略 次話に続く)

 

 (87)兜太を支えた同志妻皆子  

   兜太は、59年間連れ添った亡妻、皆子を思いを込めて詠み、自句自解する。

病いに耐えて妻の眼澄みて蔓うめもどき兜太

 〈 みな子は、71歳で発病し、81歳で他界した。腎臓癌が肺まで転移し、痛み劇しく、しかし10年間の闘病に耐えた。最晩年は殊に意志の力を感じたが、その眼も澄んでいた。ある日、みな子の実家のある秩父郡長瀞町野上の菩提寺総持寺の住職大光は、裏山から球形の黄色の実の重なる大振りの蔓うめもどきを持って来てくれた。みな子の眼は喜び、更に澄む。〉(『日常』より)

合歓の花君と別れてうろつくよ兜太

 〈 みな子他界のあとは、生前の細かい言葉遣いや仕種が、何かにつけて思い出されて辛かった。どれほど自分が勝手に振る舞ってきたかと思うことも頻りに。…「うろつくよ」がその後悔を抱えつつ、なんとも頼りない気持ちで暮らしている自分。…〉(『日常』より)

 皆子は昭和63年に第1句集『むしかりの花』刊行後、右腎全摘手術をした平成9年に第2句集『黒猫』、兜太が『東国抄』で第36回蛇笏賞を受賞した同14年に第3句集『山査子』、死の2年前の同16年に第4句集『花恋』を上梓。

「あれが海です」聖夜砂嵐砂嵐皆子

 『花恋』の「花幻」の章の1句である。闘病中の皆子に寄り添った「海程」同人、山中葛子の句解を再び「現代俳句コラム」(平成25年4月11日記)から引く。

〈 皆子は、平成9年に右腎臓全摘の手術を受け、その後の平成12年、尊敬する主治医が千葉県旭市の旭中央病院に移ったことを機に、月の半ばは旭市のホテルサンモールに滞在し、6年に及ぶ診察治療を受けている。この間には、左腎の部分摘出手術、肺への転移が見られるなど、2度の手術による傷痕は、お天気によって傷むという薔薇の体に霧笛沁みこむ海の街の句があり、自分を「薔薇の体です」と明言していた。この句は、そうした療養中での闘病の苦しい時間がふっ切れたような神秘的な一条の光がさして、肉体が叫びをあげたようなまるごとの俳句詩型になっている。〉

 そして山中は句集『花恋』の「白丁花」の章に収載の佐藤鬼房追悼の2句 鬼房亡し誘われるごと寒の雨 〉〈 冬の湖沼の光に同じこころかな を挙げて書く。〈 冬の雨が降り続いている窓。海とは反対側の街並みの向こうに冬の光をどんよりとたたえている湖沼は、「海程」の初期を共にした同志鬼房を亡くした無念の涙のよう。俳句の道への尊敬が実感される。…俳句形式への尊敬が語られている闘病の1186句が収められた句集『花恋』の作家姿勢が鮮烈である。〉と。                 (文中敬称略)