コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(90)ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
『草苑』を主宰し、第1句集『月光抄』から最終句集『草影』まで10句集と俳書、随筆集など多くの著書を残して平成16年(2004)に90歳で逝った桂信子。草苑」創刊と同時に参加、師事し、8年後から編集長を務めた宇多喜代子が、34年の長きを師に寄り添った視点で選んだ104句に句解を付し、刊行した『この世佳し――桂信子の百句』(ふらんす堂)を引きながら書く。
同書の冒頭句〈 梅林を額明るく過ぎゆけり 〉の句解から信子俳句の起点に触れて置く。
昭和13年(註:1938)、旧制大手前高女を卒業したころ、信子は『昭和文学全集』(改造社)の「俳句篇」を読んでいて、〈 古めかしい俳句の多い中、日野草城と山口誓子の句に目が止まった。〉さらに、たまたま百貨店の絵画展を見に出かけた際に、書籍売場で草城主宰の俳誌『旗艦』が目に入る。信子は〈 当時の草城がどういう経緯を持った俳人か、『旗艦』がどういう俳誌か詳細も知らず 〉同誌に投句を始め、翌14年に初入選したのが〈 額明るく〉句だった。
句会に初参加したこの年、京都大学法学部出で神戸の汽船会社に勤める桂七十七郎(なそしちろう)と結婚するが、新婚2年で夫が急逝。27歳で寡婦になった信子は実家に「出戻り」 、〈ここから自活、自立の暮しが始まる。〉この年の12月8日、日本は太平洋戦争に突入する。
敗戦から2年後の句〈 腰太く腕太く春の水をのむ 〉の句解で宇多は書く。〈 この年、33歳、俗にいう女盛りである。…夫君死別から7年がたち、どことなくたくましくなった、そんな自覚の句である。〉と。
そして、信子の3大話題句の一つ掲題の〈 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 〉を置き、〈 梅雨どきの倦怠感、女性が肌身で感じる梅雨特有の空気のしめり、孤閨の嘆きだろうという鑑賞を見ることもあったが、なにかにつけて寡婦であることが枷になるような生きにくさへの嘆きであったのだろう。
彼氏のひとりくらいどうしてないんだよ、不倫でも浮気でも再婚でもすればいいのに、…そんなことを聞くたびに、どう説明してもわからないだろうと思い世間の好奇心を聞きながした。〉と句解。
生活の糧を得る信子の勤務先は、近畿車輌(株)。近鉄や東海道新幹線の車輛を製造する近鉄の関連会社。宇多は書く。
〈 そこでの部署は総務課、重役室専属の受付、客人の接待、社長の他、専務、常務、幾人かの取締役、監査役といった役職の「世話」係で、早朝から9時近くまで腰を下ろす隙などなく駆けずりまわっていた。桂信子自身の細かい気遣いと身の軽さに加え、記憶力のよさなどが重宝されたキャリアウーマン時代である。〉と。次話に話を続ける。(文中敬称略)
(91)窓の雪女体にて湯をあふれしむ 桂信子
前話の掲題句〈 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 〉(第1句集『月光抄』)と並んで男性にとって、桂信子の3大人気句の残る2句は第2句集『女身』収載句である。『女身』までの信子は、師の日野草城直伝の句風で己の生身に目を向けたエロス感の濃い作品を数多く詠句。その詠み人が女盛りの寡婦俳人ということと重なり、作句に対する好色な深読み、あらぬ噂にさらされたことは、前話で紹介した〈 ふところに乳房ある憂さ 〉句の句解で宇多も触れている。
掲題句〈 窓の雪女体にて湯をあふれしむ 〉について同性の宇多の句解は、〈 「あふれしむ」が、若々しい女体の量感を感じさせる。窓の向こうは雪、そんな冬夜のひとときである。戸外は静かなる時間であるのに、浴室には湯をつかう生命感にみちた動の音が溢れている。〉と淡々と記し、妄想のかけらもない。
詩人で俳人の清水哲男の句解を「増殖する俳句歳時記」から引く。
〈 作者30代の句。女盛りの肉体が、浴槽の湯をざあっと溢れさせている。外は雪だ。この寒暖の対比からいやでも見えてくるのは、作者の自己の肉体への執着ぶりだろう。男ならば「ああ、ゴクラク極楽…」とでも流してしまう入浴の気分を、女は身体全体でいわば本能的に流すまいと踏み止まる。男は身体を風流に流せるが、女は決して流せない。たぶん女は、片時も自分に肉体があることを忘れては生きられないのである。女の肉体への執心は、自己愛と言うのとも、ちょっと違うような気がする。「女盛り」と書いたが、女にはおそらく自分の肉体の盛りがわかるのであり、男はそれこそ不思議なことに、そういうことは皆目わからずに生きてしまうのである。〉と。
初期の代表作〈 ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 〉の宇多の句解を書く。
〈 この句を鑑賞するとき、ほとんどの人が恋人との逢引の場を脳裏に再現させている。しばしば「このひとはだれですか」「もしかしたら誰々さんではありませんか」などという話が出てくる。その度にうんざりした顔で溜息をついていたが、私など、だってそんなふうに書かれていますから無理ないですと、大方と同じように夏の暮れ方に「ひと」と逢う場を思ひ描く。
作者によれば、この句の眼目は「蛍」であって、他が興味を持つ寡婦の逢引のほうは蛍に誘われたフィクション。実かもしれない、虚かもしれない、そんな句である。…最晩年の桂信子がしみじみと言ったのは「俳句もむつかしかったけれど、それ以上にむつかしかったのは、後家が後ろ指をさされずに暮らすことでした」であった。〉(文中敬称略)
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