コラム「はいかい漫遊漫歩」   松谷富彦

(206)浅草「神谷バー」の電気ブラン

 浅草でつねに人だかりのしている場所と言えば、大提灯の雷門前と隅田川越しにスカイツリーを望む水上バス乗り場前(吾妻橋西詰)だろう。対岸に目を遣れば、金色の巨大なオブジェを屋上に載せたスーパードライホールが異彩を放つ。「フラムドール(フランス語で金の炎)」が正式名称だが、色と形が出来たての雲古そっくり。だから地元っ子は、ずばり“うんこビル”と呼ぶ。

 回れ右すると、雷門通りと馬道の交差点角に神谷バーのビルが目に入る。浅草1丁目1番地1号は、明治13年の創業以来不動で店を守り続けてきた誇りの地番だ。バーと言っても1階はビヤホール、2階がレストラン、3階は割烹。神谷バーと言えば、デンキブラン(電気ブラン)。どの階でも飲める。

 デンキブランを愛した一人、内田吐夢監督の「たそがれ酒場」(新東宝映画)で脚本家デビューした故灘千造さんは、随筆「私の浅草」で〈 戦前は、酒精分四十何度かの、強さだった。…とにかく飲むと口中が電気に打たれたように痺れるので、いつの間にかデンキ・ブランデー、略してデンキブランと呼ばれるようになった。〉と書いた後、〈 客たちのあいだからいつの間にか生まれたというのは、いかにも浅草らしく面白いが、これは巷説らしい。〉と断っているように、実際は、創業者の初代神谷傅兵衛が、当時としてはハイカラの先端をゆく「電気」を自家製ブランデーの商品名に利用したものらしい。

  現在、デンキブランのアルコール度数は30度、電気ブランオールド40度。戦前もいまも地元っ子流は、デンキブランを生でちびちびやるか生ビールと交互に飲むのが一般的。灘さんは「私の浅草」で書く。

 〈 たしかに、いまの神谷バーでは、デンキブランをビールで割って飲む客を、よく見掛ける。戦前、こんな飲み方をするものは、ひとりもいなかった。今と違って、当時はビールは、庶民にとって贅沢な飲み物であった。ビールが飲めるくらいなら、デンキブランなど見向きもしなかっただろう。

  デンキブランを呑むのは安くて強いからである。ビールで割るような、もったいないことをするはずがない。〉と。灘さんがこの一文を書いてから40年経つ。神谷バーにはデンキブラン女子も増え、デンキブランと生ビールを並べ、くいっくいっとにぎやかに飲んでいる。泉下の灘さんなら何と言うか訊いてみたい。

  ちなみに「神谷バァにて」の前書付きで若き日の詩人、萩原朔太郎が詠んだ短歌〈一人にて酒をのみ居れる憐れなるとなりの男になにを思ふらん 〉がある。

山社祭り電気ブランに感電す横坂けんじ
遠近に灯りそめたるビールかな久保田万太郎
嘘ばかりつく男らとビール飲む岡本眸
口癖は太く短くビール干す後藤栖子
大衆にちがひなきわれビールのむ京極杞陽

(207)俳句とジャズ 

 連句(連歌)、席題、吟行。俳句は即興が勝負の文芸とも言える。機智、諧謔、素養、正岡子規以降に強調されるようになった写生、観察を加えた即吟力。そう、宮廷、公卿の世界が出自の短歌から、卑俗、卑語も厭わぬ短詩文芸として登場した俳句は、黒人奴隷の間から派生したジャズの生い立ちと酷似している。

 〈 霜柱俳句は切れ字響きけり 〉石田波郷の俳句の要諦を詠み切った有名句だが、ジャズにも音楽の神髄を曲名にした名曲がある。デューク・エリントン楽団が1932年に作曲、初演した「スイングしなけりゃ意味ないぜ」(It Don’t Mean a Thing If It Ain’t Got That Swing )がそれ。

  本来、ジャズは、多分に即興的で演奏者も聴く側も自然に体が揺れて、踊りたくなる「スイング」感覚の音楽。少し専門的になるが、『JAZZ 愛すべきジャズマンたちの物語』(椿清文著)から引かせてもらう。〈 ジャズのアクセントの基本は「弱・強・弱・強」、いわゆるシンコペーションまたはオフビートと呼ばれるものである。それに黒人特有の粘りが加わって、ジャズの演奏に独特の躍動感、つまり「スイング」と呼ばれる感覚がうまれる。〉と。

  1日の仕事を終えたジャズメンたちが自分たちの楽しみのために即興演奏を競い合う中からジャム・セッションが生まれ、さらにはビッグバンド同士の即興演奏合戦「バトル」が登場したのだった。俳句も句仲間(連衆)と句を競い、楽しみ、席題、吟行で即吟に懸ける。俳句もジャズも即興が魅力の一つだと知る。

どれも口美し晩夏のジャズ一団金子兜太

  よく知られた兜太のジャズ詠句。作句者の自句自解を『金子兜太自選自解99句』(角川学芸出版刊)から引く。

 〈 これはそのままの情景。日比谷公園に行ったとき。ジャズをやっている一団の人たちがいて、晩夏の光の中で口が美しかった。歌をうたう人ばかりでなく、楽器を奏でている人の熱中している口もきれいだ。ああ、戦後だなあという感じを妙に持ったのを覚えている。その情景、明るい都会風景というか、「誰も」でなく、「どれも」。仲間の気持ちで書いたこのことばも気に入っている。〉

もしジャズが止めば凩ばかりの夜寺山修司

ジャズピアノ戻り花より空くずれ中井不二男

涼しさやジャズに星降る楼の上寺田寅彦

ジヤズに歩の合ひゐて寒き水たまり橋本多佳子

古びたるジャズを洩しぬ半夏生行方克己